スタンド・バイ・ミー・エンジェル

七話 ブラックジャック
 今宵の前に置かれた二枚のトランプカード。一枚はキング。もう一枚は伏せられている。
 今宵は胸を高鳴らせながら、伏せられているカードをめくった。
 数字はセブンだった。
「ほら、もう一枚よ、もう一枚」
 後ろから今宵の肩にしがみついているヒミコが、声を嗄らす。
「え、だってもう、十七よ。次はバーストしちゃうわ。これで勝負だと思うんだけど」
「ダメダメ、ここはもう一枚勝負なのよ。パパのお友だち達から『ギャンブル・プリンセス』って呼ばれた私の勝負勘を信じなさいって」
 ヒミコの指示に、今宵はしぶしぶながらも、ディーラーにヒットを要求した。
 対面に立つディーラーはニヤリと笑った。空中を滑らすように、カードを一枚、送り込んでくる。
 カードを開く。
 数字はフォー。
 先ほどの数字と合わせて、ぴったり二十一。
 ディーラーが、自分の手元のカードを開く。合計数は十九。
「勝った、勝った! また勝ったー!」
 今宵とヒミコは顔を見合わせ、抱き合いながら嬌声をあげた。
 二人は、渋谷のビル最上階でオープンしている公営カジノへ遊びに来ていた。
 今宵のマンションで食事後、どこか遊びに行きたい所はないかとヒミコに聞いたところ、カジノへ行きたいと言ったのだ。
 今宵はカジノは未経験だった。ヒミコも、ホームレス仲間とギャンブルしたことはあれ、公営の施設は初めてだという。
 今宵は遊びのつもりで五万円だけ用意して、渋谷のカジノへ連れ立ってやってきたのだ。
 ヒミコにすすめられるまま、ブラックジャックのテーブルに座り、簡単なレクチャーを受けて勝負を始めた。
 予算分を失ったら帰ろう。そう思っていた今宵だったが、いわゆるビギナーズ・ラックなのか、連戦連勝。
 五万円の元手は、またたく間に三百万円へと増えていた。
 二人の後ろには、黒山の人だかりができていた。サングラスをかけるという簡単な変装はしていたものの、すでにカジノ中に、今宵が正体はばれていた。
 しかし、それを声高に言う人間はいない。
「ね、次は百万円、いってもいいでしょ!?」
 ヒミコにお伺いをたてる。今宵は初めての博打の勝利に興奮していた。自分がこれほどアツくなるタイプだとは知らなかった。
 ヒミコは今宵の顔を見て、それからディーラーの顔に視線を移した。両手を組んで、しばし考えこむ。
「いいわ」
 ヒミコのゴーサインが出た。
 今宵は頬をほてらせながら、ベッドテーブルに、一枚十万円分の黄色コインを十枚置いた。
 ディーラーはシャッフルしたカードを二枚、送り込んできた。
 引っつかむように二枚のカードをひっくり返す。
 絵柄は、クイーンとスペードのエース。
 ブラックジャック。ディーラー側のカードはすでに一枚がめくられ、シックスの数字が見えている。
 ディーラーに引き分けとなるブラックジャックはない。
 ブラックジャックは、チップ一・五倍返し。
 所持金は四百五十万円に膨れ上がった。
 今宵の興奮は、最高潮に達した。

 一時間後、二人はソフトクリームを舐めながら、ビルとビルをつなぐ空中通路、スカイウォークを歩いていた。
 両側がガラス張りの通路は、高所恐怖症の人間にとっては足がすくむ。夜景は絵のようにきれいだった。
「もう、だからあそこで止めようっていったのにぃ」
 先にソフトクリームを平らげたヒミコが、スカイウォーク途中のベンチに腰かけ、足をブラブラさせながら不平を述べた。
「ごめんごめん。だけどそうは言ってもさあ、熱くなっちゃってやめられないのよ。いいじゃない。儲け分は全部消えちゃったけど、損もしてないんだから」
 今宵はそう弁解すると、ヒミコの隣に腰掛けた。
「今宵、あなたって、本当にギャンブルが分かってないのねえ」
 ヒミコは大きく溜め息をついてみせた。
「いい、今日は現役の女子高生して国会議員のアナタと、美少女の私が、二人揃って店に入ったの。カジノに入ってから、ずっと店の客たちが私たちに注目してたのは分かってたでしょ?」
「ええ。だけど私は、注目されることは普通だから」
「嫌なタイプ!」
 ヒミコは大仰に眉をしかめてみせた。
「まあ、いいわ。それで、お店の側からすると、私たちにはできるだけ長く楽しく遊んでもらいたいわけよ。私たちがいれば、華やかになるから、客寄せパンダとしてね」
「まあ、そうかもしれないわね」
 今宵は、残ったコーンのお尻をかじりながら頷いた。
「それで、最初は私たちに勝たせてたわけ。まさか今宵、ディーラーがホントにカードで勝負してるなんて思ってるわけじゃないでしょうね。ブラックジャックでもルーレットでもスロットでも、博打はすべて店側が思ったとおりの結果を出せるのよ」
「まあ、そうなの。薄々分かってはいたけど」
「だから今日のギャンブルの勝負はね、できるだけ店に居させたいディーラー側と、かといって無制限に勝たせるわけにはいかない、その境界線を巡る心理戦だったのよ。私の見たところ、あのディーラーに任させている裁量権は三百万円まで。それを超えると回収にかかるの」
「あら、でも、私は六百万円までは勝ったわよ」
 今宵は唇をとがらせて反論した。
「途中、ディーラーが、私たちに飲み物を用意させるとか言って、ちょっと席を外したでしょう。あの時、バックルームで店側から指示があったのよ。おそらく、裁量権の倍額までは遊ばせろってね」
 まったくヒミコはよく見ている。
「それなのに今宵ったら、六百万円儲けたところで、次の勝負に全額賭けちゃうんだもの。そりゃもう、向こうだって回収にかかるわよ」
「だってー」
 ヒミコはわざとらしく両手の平を上に向けて、首を左右にふった。
 今宵は、ヒミコのそんな仕草が可愛くて仕方なかった。
「だけど私たちは結局プラスマイナスゼロだったから、お店側も儲けてないわ。遊べただけお得だったと思わない?」
 ヒミコは両腕を交差させてバッテンを作ってみせた。
「ブブー! 儲けたのはお店側だけです。私たち目当てに新しい客も来てたし、そういう人たちが多かれ少なかれ、お店にお金を落としたはずよ。今日の勝負は、私たちを引っ張れるだけ引っ張ったお店の一人勝ちでした」
 ヒミコは立ち上がり、腰に手を当てた。
「今宵はギャンブルに向いてないわ。必ず損するタイプね。どうしても行きたくなった時は、必ず私を誘いなさい」
「はぁい、わかりました」
 ソフトクリームを食べ終え、今宵は素直に頷いたのだった。


 風浪寓人がワーカーズ・ホスピタルに入院して五日後の夜。
 今宵はヒミコを連れて、フレンチレストランで食事をした。
 食事後、マンションへ戻る。居間で、服を脱ぎ散らしながらヒミコが言った。
「フランス料理って、やっぱ金持ちの食いもんだわ。どれもこれもクチャクチャしてて噛み応えないし」
 室内は十分に暖房が効いている。ヒミコは下着姿になり、ソファにあぐらをかいてテレビのスイッチを入れた。
 外では平気のようだが、部屋に戻ると、どうにも体を締め付ける服がガマンできないらしい。
「あら、そう」
 今宵は、散乱した服を拾い集めた。
「私はもっと脂っこくて、食った、って感じのするものが好き。今度またイタリアンに連れてってよ」
 ヒミコは、テレビのチャンネルをバラエティに合わせた。今宵はあまり見ないのだが、ヒミコはお笑い番組が大好きなのだ。
「いいわね。じゃあ、明日行こうか」
 今宵はフローリングに正座して、ヒミコが脱ぎ散らかした服をきちんと畳んだ。
 これから風呂の用意をしなければならない。アイスクリームの買い置きはまだあっただろうか。冷蔵庫を確認しなければ。切れているのなら、ひとっ走り買ってこなければならない。
 太る原因になるので、夜中にカロリーのあるものを取る習慣はなかった。しかし、ヒミコは寝る前にテレビで映画を見ながらアイスクリームを食べるのが好きだった。
 今宵も付き合いで食べるようになった。いや、アイスを舐めながら、部屋を真っ暗してヒミコと見る映画は、今宵にとってかつてないほどの楽しみだったのだ。
 映画が終わる前に、ヒミコはウトウトしてくる。ボンヤリしたヒミコを洗面所に連れて行き、歯を磨かせ、それからベッドに入れる。
 それがここ数日、今宵の生活習慣となっていた。
 冷凍庫にまだアイスは残っていた。風呂の用意をしようと浴室に向かうと、IDカードがクラシック音楽を慣らし始めた。
 ディスプレイに目をやる。
 英語表記だった。外国からの通信だ。
 やがて英語表記が消え、代わって和訳が浮かび上がる。
『クレマン・ボルテ』
 半年ほど前、国際交流のシンポジウムで挨拶した、イギリスか、ドイツかの地方議員だったか。
 おそらく名刺交換をしたのだろう。
 カードディスプレイの下に、ピジョン・コールのサインが点滅していた。
 映像を交換するピジョン・コールは、プライバシーの障壁があり、日本ではほとんど普及していない。
 外国人はプライバシーの概念が違うのか、それなりにピジョン・コールは普及しているとのことだった。
 今宵は素早く自分の服を見下ろした。
 帰宅後、まだ着替えてはいない。映像になっても大丈夫だ。
 今宵は受信のタッチパネルに触れた。
 カードディスプレイに、白ヒゲをたくわえた、恰幅のいい初老の白人男性が浮かび上がる。
 間違いない、以前会ったクレマン・ボルテ議員だった。
 同時に向こうにも、今宵の映像が届いているだろう。
「ボンジュール・チャヤ、エステ・セ・ボゥ・エティス・ビアン?」
 困ったことになった。今宵は語学が苦手ではなかったが、得意でもなかった。流暢に会話することはもちろん、ネイティブの発音を聞き取ることもほとんどできない。
 カードには、文字の翻訳は入っていても、会話の翻訳機能までは入っていない。
 いったん事務所を通してもらったほうがいい。
「ハロー ミスター・ボルテ、アイ アム ベリー グラッド トゥー あー、ゲット ザ テレフォン、あー、ハウエバー……」
 しどろもどろになって英語で答えようとする。
 しかし、通じていないのか、ボルテ氏は早口でまくし立てた。
 今宵は額に汗が滲んできた。
「プリーズ パス ザ オフィス ドゥ……」
「その人が話してるの、フランス語よ」
 ヒミコの声だった。
 いつの間にか背後に回りこみ、カードを覗き込んでいた。


「ヒミコちゃん、わかるの?」
「喋るだけなら少しね。代わろうか?」
 今宵はキツネにつままれたような気持ちで、カードをヒミコに渡した。ピジョン・コールなので、下着姿のままのヒミコが向こうに映ってしまう。
 止めようとカードに手を伸ばしたが、もう遅かった。
「ジュ セイ レ プレス、ポス キュイ チャヤ ネ コナィ パス ラ フランス.キューレ アフェーレ エスセ ク ケスト?」
 流暢にフランス語を喋り出すヒミコ。
「い、今、なんて言ったの?」
 今宵は口を挟まずにはいられなかった。
「ヒミコはフランス語がわかんないから、私が代わるって言ったの。何の用?って」
 フランス語でも、いつものぶっきら棒な調子なのだろうか。今宵は心配になった。
 ディスプレイのボルテは、突如下着姿で現れたヒミコに、目を見開いて驚いていた。
 通じていないのではないだろうか?
 今宵の心配は杞憂だった。
 ボルテ氏は、軽く口笛を吹くと、笑顔で話しはじめたのだ。
 今宵には、ボルテ氏が何を言ってるのかまったくわからなかった。
 ヒミコは相槌を打ち、フランス語で返す。
 コミュニケーションが取れていることは間違いない。
 間もなく、ヒミコが今宵に顔を向けた。
「別に用があるわけじゃないみたいよ。今度、地方議員から国会議員に転身したんで、日本に来た折にはよろしくって」
「そ、そう。おめでとうございます、って伝えてくれる」
「オッケー」
 ヒミコは、再びボルテ氏とフランス語のやり取りに入った。
 それから二人は十分以上も会話を続けた。時折り、笑い声さえ立てている。
 やがて挨拶らしきものをし、ピジョン・コールは切れた。
 途中、ヒミコは何も訳してはくれなかった。政治向きの話だったら、勝手に返事されては困るな、と今宵は気を揉んでいたのだが。
「あら、大丈夫よ。政治の話なんかちっとも出なかったわ」
 カードを今宵に返しながら、ヒミコは言った。
「私のフランス語のイントネーションが、おっちゃんの生まれ故郷とおんなじなんだって。今はパリにいるらしいけど、私と話せて故郷を思い出した。とってもハッピーだって、そんな話だったのよ。フランスに来る機会があったら、ぜひ自分のところに遊びに来てくれって。まあ、それは今宵に聞いといて、って答えといたわ」
 ネイティブとそこまで互角に会話できるとは。
「ヒミコちゃん、いったいどこでフランス語を覚えたの?」
 小学校にも行っていないはずだ。いや、小学校に通っていたとしても、とても会話できるレベルになどならないだろう。
 ヒミコはソファに戻ると再びあぐらをかいた。消していたテレビのチャンネルを入れる。
「ホームレス仲間よ。外国人のホームレスもたくさんいるからね」
 外国人の不法滞在問題。国会でもよく議題になる問題だった。それが、まさかこんな身近につながってくるとは。
「でも、ホームレスの人たちに教えてもらったくらいで、身に付くものなの?」
 今宵はヒミコの隣に腰掛けながら、疑問を差し挟んだ。
「熱心に教えてくれるしね。さっきのボルテのおっちゃんと同じよ。みんな日本にいて、でも故郷に帰れるものなら帰りたいと思ってる。でもできない。だから私がちょっと言葉を覚えて、それでやり取りしてあげると、すごい喜ぶのよ。中には涙を流しながら『パパ、おかえりなさい』って言ってくれ、って何度も頼んでくる人もいたわ。たぶん、向こうに子どもがいるんでしょうね」
 淡々と語るヒミコの言葉は、今宵の胸を打った。
 今宵も、ヒミコに言葉を教えたというホームレスと同じだと思った。
 自分はいま、ヒミコを手放したくないと思っている。もし今、ヒミコが突然消え去り、このマンションに一人残されたら、自分はどうなるだろう。
 今宵は、背中に悪寒が走った。
 そんな今宵の胸中を知るはずもなく、ヒミコは続けた。
「フランス語だけじゃないわよ。アメリカ人もドイツ人も、ロシア人のホームレス仲間もいたわ。アジア系も中国、タイ、フィリピンとかね。八ヶ国語くらいは喋れるわ。もっとも、ロシア語は訛りがひどくて聞きづらいって、他のロシア人ホームレスに笑われたことがあるけどね。あと、書くのはてんでダメね」 
(この子は……)
 今宵は、ソファにもたれかかってリラックスするヒミコを、あらためて見つめ直したのだった。