スタンド・バイ・ミー・エンジェル

六話 変身
「まあまあ、いらっしゃいませ、茶屋先生」
 円形の水槽を囲むように扉を開いている、ビル内の住人専門アーケード。
 その中のひとつ、重々しい樫材でできた扉のブティックへ入る。六十絡みの年配の女性店員が、満面の笑みを浮かべて今宵を迎えた。
 黒い上下のスーツに、おそらく染めているのだろう、艶々と光る黒髪を後ろできっちりとまとめている。
「あらあら、こちらは茶屋先生の妹さんでいらっしゃいますか? まあ、先生に似てらして、随分可愛らしいお嬢さんですこと」
 通りいっぺんのお世辞を述べたあと、店員は軽く腰をかがめて「こんばんは」と、甘ったるい声でヒミコに挨拶した。
 まだ表の水槽に心奪われているヒミコは、ぎこちなく頭を動かしただけで済ました。
「今日はこの子の服をみたいと思って」
 妹と勘違いしていることを、今宵は否定はしなかった。店員にいちいち理由を説明しても仕方ない。ヒミコを妹と思ってもらうことに抵抗はなかった。いや、嬉しくさえあった。
「サイズはいかほどでしょう?」
「わかりません。はかってないんです」
 店員は、ヒミコを頭のてっぺんからつま先まで舐めるように見た。ありあわせのスポーツウェアを着ていることに気がついたようだ。
「既製服のほうがよろしいでしょうね?」
「はい、すぐ着て帰ろうと思いますので」
「かしこまりました。百四十くらいのようですけれど、細身のお嬢ちゃんだから、百三十でもいいかもしれませんわね」
 店員は上着のポケットからメジャーを取り出した。手早くヒミコの身長や胸囲、胴囲、肩幅などに当てる。
「ではこちらへ」
 婦人服が並べてある入り口付近から、奥の子供服コーナーへと案内される。
 子供服コーナーといっても、シャツや上着を二十着ほど吊るしたハンガーがあるだけである。
 大人の服が中心であるうえに、本来はオーダーメイドがメインの店なのだ。既製服は売り物であると同時に、見本の意味合いが強かった。
 服は選ぶほどのことはなく、ヒミコの体に合うものはスカートが三つ、上着が二つ、シャツは襟付きのものがひとつしかなかった。
 ヒミコを試着室に連れ込み、組み合わせを試す。
 今宵は選んだのは、濃い臙脂色のブレザージャケットに白いシャツ、黒基調のタータンチェックミニスカートだった。
「靴はいかがいたしましょう?」
 上を揃えたからには、サンダル履きのままというわけにはいかない。
「なにかあります?」
「ちょうどお嬢様にピッタリなのがございますよ」
 奥から店員が持ってきたのは、赤い苺模様のワンポイントが入った、黒い革靴だった。
 ヒミコに足を入れさせる。あつらえたようにピッタリだった。
「まあまあ。となると、素足というわけにはいきませんわねえ」
 ヒミコの足からいったん靴を脱がせながら、店員が今宵にむかって相談する。
「子供向けのソックスも、こちらにあるのかしら?」
「ええ、この店にはございませんが、水槽の向かいの店に、女性の下着が揃っておりますわ。またお嬢ちゃんに着替えさせるのはなんですし、ちょっと私がいって見てまいりましょう。このお洋服ですと、上着に合わせて臙脂色のソックスか、黒いストッキングがよろしいでしょうね」
 店員はそそくさと店を出て行った。今宵とヒミコが残される。
「大丈夫なのかしら、店を空けて店員が出て行っちゃって」
 自分の格好を鏡に映し、怪訝な表情でヒミコが言った。
「大丈夫よ。ここは一般の人は入れないところだし」
「へえ、お金持ち同士って気楽なのね。ところで見てよ、このスカート」
 ヒミコは、黒いチェック模様のミニスカートの裾を持ち上げて見せた。商品タグが下がっている。
「こんな小さくて、寒さなんか少しも防げそうにないのに、十五万円よ、十五万円。ウシ屋の牛丼が四百二十八杯も食べられるわ。三食そればっかりで過ごしても、百四十二日も過ごせるのよ」
「ヒミコちゃん、ずいぶん計算が早いのね」
 今宵は感心した。
「まあね、グウ兄はドンブリ勘定だから、私がしっかりしちゃったのよ」
 店員が戻ってきた。言っていたとおり、臙脂色のソックスと黒いストッキング。着替えさせている時に気が付いたのか、気をきかせて子供用の下着も持ってきてくれていた。
 上着から足先まで、すべて合わせて四十五万七千二百二五円。背中にサラリと流れる金髪は、店員がプレゼントしてくれた青いリボンで、ポニーテールに結われた。
 パッと見には、私立お嬢様学校の制服のようにも見える洋服を着せられ、ヒミコは見違える美少女へ変身していた。
「まあまあ」
 店員が感嘆の声をあげる。
「私は客商売ですから、どんなお客様でも良い点を見つけて褒めるのが性ですけどねえ。ホント、このお嬢さんは良い点なんて探してやらなくていい。だって、全部がカワイイんですもの」
 店員の褒め言葉もお世辞に聞こえない。今宵自身、見惚れているのだ。
 そんな二人を尻目に、ヒミコはボソリと呟いたのだった。
「この服って、リサイクル屋に持っていっても、そんなに値崩れしないよね」
 今宵とヒミコは手をつないで店を出た。
 水槽をもう一回りした後、今宵は提案した。
「ねえ、このままレストランに行こうか」
 突然、可愛い妹ができた気がした。ブティックの店員だけでなく、もっと他の人にも見せびらかしたくなったのだ。
 部屋で、二人だけで食事するのはもったいない。
「部屋でハンバーグ作ってんじゃないの? わたしは別に構わないけどさ」
「いいって、いいって。あれは明日の朝にでも食べよ。それじゃ行こう」
 今宵は、ヒミコの手をひいて、同じビル内のイタリアンに向かったのだった。


「おいおい、こりゃいったいどこのお姫様が来たんだい?」
 築六十年の小学校を改装した新木場、ワーカーズ・ホスピタルの二階。二十のベッドが押し込まれた元教室の大部屋。手持ち無沙汰で横になっていた寓人が、目を見開いて大袈裟に驚いてみせた。
「グウ兄!」
 ヒミコが駆け足でベッドに飛び込み、寓人に抱きついた。
「その服、すごく似合ってるじゃないか」
 寓人が、ヒミコの上着やブラウスやスカートを褒めた。
「髪も本当にキレイだ」
 ポニーテールの尻尾をそっと持ち上げる。
「先生が買ってくれたのかい?」
「そうよ」
 ヒミコは寓人の胸に顔を埋めた。
「グウ兄、もう大丈夫なの?」
「ああ、まだちょっと体に力が入らないけど大丈夫だ。何日かすれば、すっかり元に戻るって先生も言ってたよ。心配かけたね、ヒミコ」
 寓人が顔を上げる。ようやくヒミコに続いて部屋に入ってきた今宵に気がついたようだった。
「こ、これは先生。今回は色々と」
 上体を起こし、立ち上がろうとした寓人だったが、ふらついてベッドに尻餅をついた。
「あ、立たないでください、風浪さん。まだ療養中なんですから」
 今宵は寓人の肩を軽く抑えた。
「すみません」
 寓人は頭を下げた。
 ヒミコをマンションに連れ帰り、服を買ってあげた翌日、二人は見舞いのため、寓人の病室を訪れたのだった。
 今宵はセーラー服ではなく、スラックスにチャコールグレーの上着という私服だった。頭にはチューリップハットを被り、淡いブラウンのサングラスを掛けている。変装のためだった。
 セーラー服の今宵しか見たことがないであろう寓人が、すぐに気が付かないのも無理はなかった。
 今朝、目を覚ました寓人は、大体の事情は院長から聞いたという。
 とはいえ、寓人が倒れた原因である、今宵のクッキーまでは医者も知らない。
 今宵は改めて一連の事情を説明し、寓人に謝罪した。
「許してあげなよ、グウ兄。今宵は悪気があったわけじゃないんだから」
 寓人はニッコリ笑って頷いた。
「許すも許さないもないよ。ボクの体が弱ってたから、そんなことくらいで倒れたんだから」
 寓人は今宵に向き直った。
「こちらのほうこそ、ご迷惑をおかけしました」
 寓人がベッドの上で頭を下げる。
 当たり屋のようなことをしていた寓人が、素直に自分の非を認める。それはおかしなことだと思いながらも、同時に、今宵は少しも驚かなかった。
 昨日、ヒミコと一緒に楽しく夜を過ごした。生意気ながらも、少しも子どもらしい率直さを失っていないヒミコを通じて、ヒミコを赤ん坊の頃から育てたという寓人も、根はまっとうな人間ではないか、と感じていたからだ。
 今日は話し方、物腰も堂に入っている。高額所得者向け病院での落ち着きのない態度とは雲泥の差だ。
 今宵の目には衛生的に見えず、自分ならけっして入院したいとは思わないワーカーズ・ホスピタルだが、寓人にとっては落ち着く場所なのだろう。
「今朝、目を覚ましたとき、ヒミコのことが真っ先に気になりました。院長が話してくださって、先生にお預かりしてもらってると聞き、安心しました。それに、こんな高価そうな服まで」
 寓人があらためて礼を述べる。
「ねえ、グウ兄、ご飯は食べた?」
「ああ、朝はおかゆが出たからね」
「お腹、減ってる? ハンバーグ、食べる。持ってきたよ。今宵が焼いたんだけど、今朝わたしも食べたんだ。そんなに美味くもないけど、マズくもないよ」
 今宵は苦笑した。
 持ってきた紙袋から、弁当箱を出そうとしたヒミコの手を、寓人が止めた。
「それは後でもらおう。それよりヒミコ、兄ちゃんの着替えを洗濯しておいてくれないか。一階の角の水飲み場に、洗濯機が設置してあるそうだから」
「うん」
 ヒミコは素直に頷くと、ベッドの下から寓人のバッグを引っ張り出した。そのまま肩に提げ、病室を出ていく。
 寓人がなぜ、ヒミコが弁当を開くのを止めたのか、今宵にはわかった。
 元教室の大部屋には、他の病人もいる。みな精気なくベッドの上にぐったりとしている。
 見舞いの客は、今宵とヒミコのほか、誰もいなかった。
 みなのベッドの枕元に、片手にすっぽり収まるほどの、アルミ製の茶碗が置いてある。それが朝ごはんだったのだろう。
 他の患者もみな、お腹が減っているのだ。差し入れのハンバーグを匂いを、部屋中に蔓延させるのに、気がとがめたに違いない。
「昨日の夜は、ヒミコちゃんとイタリアンのレストランに行きました」
「あいつ、喜んだでしょう」
「ええ、とっても。おいしそうに食べてくれて、わたしもとっても嬉しかったです。でも、その、マナーはちょっとだけなってませんでしたけど」
 今宵はクスリと笑った。
 パスタはズルズルすするし、ピザは何枚も重ねて、まとめて小さな口に放り込むので、顔中チーズだらけ。とても見られたテーブルマナーではなかった。
 しかし食事中も、そして今も、今宵は思い出しては笑ってしまうのだった。
 寓人が、苦笑いのような、薄笑いのような、微妙な表情を浮かべていることに、今宵は気がついた。
 ヒミコのマナーがなってないのは、育てている寓人のせいだと非難している、と思われたのかもしれない。
 無論、今宵にそんな気は毛頭ない。大人も顔負けの毒舌、屁理屈をこねるくせに、時折り見せるヒミコの子どもっぽい素顔が、可愛くて仕方なかったのだ。
「あの、病院の費用、先生にみてもらって、ありがとうございます」
「いえ、そんな」
 今宵は両手の平を顔の前で振った。
「私が原因なんですから」
「体が動くようになったら、すぐ退院しますので」
 寓人が頭を下げる。
「いえ、お医者の先生が太鼓判を押すまで、ゆっくり療養なさってください。費用の件は、少しも心配いりませんので」
「ありがとございます。それで、あの、厚かましいお願いなんですが、ボクがここに入院しているあいだ、ヒミコをその、夜のあいだだけでも、先生に面倒みてもらえないでしょうか。この病院は、夜は子どもの親でも付き添い禁止だと、きつく言い渡されまして」
 願ってもない提案だった。むしろ、寓人が無理を押してでも、ヒミコを病室にいさせると言い張った時、どう説得しようかと考えていたほどなのだ。
「安心してください。ヒミコちゃんは責任を持ってお預かりします」
「とてもお忙しい立場でおられるのに、本当にありがとうございます」
「いいえ、ちょうど国会開会の一ヶ月延期が決まったところなんで、時間を持て余してるんです」
 寓人が場所をわきまえて、国会や議員などという言葉を避けているのに、今宵は自分で国会開会などと言ってしまった。
 幸いなことに、病室の中、誰も特に反応した様子はなかった。