スタンド・バイ・ミー・エンジェル

一話 女子高生国会議員
 現役の女子高生にして、当選二回の衆議院議員。
 茶屋今宵(ちゃや こよい)、十七歳。
 彼女がマイクを通して低く、しかしよく通る声で語りかけると、会場はふたたび静まり返った。
「今この瞬間、多くの人が職を失っています。多くの人が以前より少ない賃金のため、以前よりたくさん働いています。以前より多くの人が家を失い、また多くの人が、自分たちの家の価値、不動産の価値が下落するのを、指を咥えて見ているしかありません。新しい車を買うことができません。車を持っていても維持していくお金がありません。クレジットカードの請求は払えません。学費は滞納され、子どもは学校で肩身の狭い思いをしなければならない状況にあります」
 百七十四センチの長身に、白いリボン、しわひとつない濃紺のセーラー服が、ドレスのようによく映える。
 黒いストッキングに、学校指定の飾り気のない黒革靴。
 黒髪は肩口で切りそろえられている。
 白い肌は化粧とは無縁。年相応の少女らしい面影の中、前髪からのぞく黒い瞳が、意志の強さを表すように輝いている。
「わたしたち社会平等党の政策、それは労働者を守る経済です。各家庭の年収は五百万円をキープし、子どもは能力に応じた、通いたい学校に通うことができる」
 二千人の観客を収容できる、都立お台場ミュージアムでの演説は、山場を迎えていた。
 助手席もすべて埋まり、定員を三百人超えている。
 ステージの正面上部から強烈なライトを浴びているため、聴衆の様子はまったく見えない。
 マイクの脇に、水滴がびっしり張り付いたガラスコップが置かれている。
 今宵は黒檀の演説台に覆いかぶさるようにしながら、胸の前で拳を握り、声の音量を上げた。
「日本に億万長者が何人いるか、世界経済誌のトップ企業五百社に、日本の企業がいくつ名を連ねるかを競う政策ではありません。良いアイデアを思いつけば、すぐに新しいビジネスを始めることができ、誰にでも平等にチャンスがある。郊外のスーパーで働く母親が、病気の子供の面倒を見るために一日休んでもクビにならず、安心して子育てができる。そんな社会を実現するための政策です」
 そこまで言い終えると、グラスを手に取り、顔をのけぞらせて水を一気に飲み干した。上品とは言いかねる仕草。迫力を出すための計算だった。
 空になったグラスを壇上に戻し、大きく息を吐く。肩を落とし、にっこり笑って見せる。
「わかってますよ。私が衆議院議員という役職にピッタリふさわしい人間でないことは、よくわかってます」
 見えない客席から、クスリと笑い声が洩れた。
「私は十七歳の小娘に過ぎません。議員にふさわしいとされてきた典型的な経歴、霞ヶ関の官僚や、大企業の役員などですね、もありません。それどころか、きちんと働いた経験すらありません。議員に当選するまでは、ですが」
 ふたたび会場から軽い笑いが洩れる。反応をたしかめ、今宵はもういちど胸を張った。
「けれども私はいま、こうして今夜、みなさんの前に立っています」
 客席がふたたび静まり返る。
「年配の方の中には、最近の若者は冷笑的だ、理屈ばかりで動こうとしない、と見ている方もおられます。たしかに、そういう若い人もいます。しかし、私を国会に送り込んでくれたのは、同世代の若い人たちと、そして今、この場にいらっしゃる皆さんです。私は主役ではありません。何かを変えなければならない、と熱い思いで私に投票してくださった皆さんこそ主役なのです」
 今宵はマイクから口を離した。背筋を伸ばして真っ直ぐ立つと、静かに目を閉じる。一時間に及んだ長い演説が、いま終わったのだ。
 客席の数箇所から拍手が鳴り出したかと思うと、それはすぐに割れんばかり轟音となった。
 満員の聴衆すべてが、今宵に拍手を送っているのだ。
 今宵は満足と安堵のこもった息を吐くと、小さく一礼した。
「みなさん、ありがとうございます。日本に、そしてみなさんに、益々の繁栄がありますよう」
 演説はなんとか成功に終わったらしい。
 濃紺のツーピーススーツを着た司会の中年女性が、ステージの袖から現れた。今宵はマイクを司会に渡した。
 まだ鳴りやまぬ拍手を背に、今宵はしっかりした足取りでステージ袖のカーテンをくぐった。
 背後からは、女性司会者の声が聞こえてきた。
「それでは、茶屋衆議院議員の演説に続きまして、社会平等党が推進する産官共同の次世代推進機『スカイゲートR』のご説明に入らせていただきます。皆さま、入り口でお渡ししましたお手元の資料をご覧になってください」


 霞ヶ関のほぼ中央に位置する、衆議院第一議員会館。
 地上四階、地下二階の構造を持つ鉄骨鉄筋コンクリートの建物は、淡い灰色の外壁材に包まれている。
 見た目は、他の公官庁建築物、あるいは中級グレードのマンションと大きな相違はない。違いは、国道に面した正門に、常に警察官二人が立ち番していること。建物を囲む外壁沿いにも、死角がないようあちこちに警察官が警備をしていることである。
 月明かりのない深夜、午後十一時半。街灯に照らし出される議員会館は、北側に面した窓の五分の一ほどから明かりが洩れていた。
 国会は半月後に迫っている。準備に忙殺される議員、そしてその秘書たちが増えてきていた。
 衆議院議員会館の三階、南西よりの一室。当選二回の女子高生衆議院議員・茶屋今宵の事務所は、そこに割り振られていた。
 事務所に入ると、そこは秘書室である。秘書室は、左右の壁面すべてが書類棚だ。五人分の机とコピー機で、部屋はもういっぱいである。
 秘書室の奥に、流し台とコンロが据えてあるだけの、一畳ほどの狭い給湯室がある。
 給湯室の脇の扉を抜けると、そこが議員の執務室だった。
 執務室は、部屋の前半分に大きなミーティング机がどんと置かれている。その奥が、今宵のデスクである。
 来客用のソファーセットは置いてない。来客はすべて議員共用の応接ルームで行うことが義務づけられている。
 トイレも共同で、各室には設けられていない。
 今宵は、自室に肘置き付き革張りチェアに、深々と身を沈めていた。まだセーラー服のままである。先ほど、講演を行った都立お台場ミュージアムから、公用車で戻って来たばかりだ。
 デスクの上には、パンダのイラストがプリントされた白いコーヒーカップ。カップからは湯気が立ちのぼっている。
 今宵は身体を起こしカップを手に取ると、唇をそっと近づけた。
「あつッ」
 すぐに唇を離す。
 淹れ立てのインスタントコーヒー。沸騰したお湯をそのまま注いだので、弾けそうに熱い。
 冷めるまでしばらく待たねばならないようだ。
 事務所には今宵ひとりだった。他の議員の部屋には、まだけっこう人が残っているようだが、物音はここまで聞こえてこない。室内はシンと静まり返っている。
 再びチェアに身体を預ける。
 眠くはなかった。疲れを感じているわけでもない。今宵は、まだ神経が高ぶっているのを感じた。
 東北地方が地盤の今宵は今夜、初めて東京で演説会を行った。原稿は三ヶ月前から、秘書たちと念入りな打ち合わせを重ねて作り上げた。党本部からの指導も入った。
 演説が始まる直前は、緊張による震えで腕時計も留められなかったほどなのだ。
 一言一句洩らさずに覚えこんだ努力は、今夜、ようやく報われた。
 神経が高ぶっているのも無理はない、と今宵は自分で納得した。
 室内は暖房を入れているとはいえ、真冬の十二月である。気温は低い。少しは冷めただろうかとコーヒーカップにふたたび手を伸ばした時、事務所の扉が開く音がした。
 続いて革靴がリノリウムの床を叩く。執務室に顔を出したのは、シャープなシルエットの黒いシングルスーツに身を包んだ若い男だった。濃いブルーのブランドネクタイをきっちり締め上げ、袖口にカフスボタンが留められている。
「先生、ただいま戻りました」
 整髪料できっちり後ろに撫でつけた短い黒髪を下げられる。
 今宵の私設第一秘書・田沢だった。
「お疲れさま、田沢さん」
 田沢は、今宵より十六歳年上の三十三歳。初当選前からの今宵の秘書である。
「コーヒー、飲みます?」
 今宵はチェアから立ち上がろうとした。
「いえ、けっこうです、先生」
 田沢は足先を揃え、慇懃に辞した。田沢は議員会館では人前であろうと、二人きりだろうと、今宵を必ず先生と呼ぶ。
「まあ、腰をおろしてください」
 今宵はミーティングデスク前に、無造作に置かれたスチールパイプ椅子を指し示した。
 田沢は促されるまま、椅子へ腰をおろした。
「どんなトラブルだったんですか?」
 今宵と田沢は講演終了後、運転手付きの議員公用車で都立お台場ミュージアムを一緒に出た。午後九時のことである。
 まもなく、田沢のカードリーダーに連絡が入った。講演終了後に、トラブルが発生したと。
 田沢はタクシーを拾って、お台場ミュージアムにUターンしたのだ。
「講演終了後、会場の外で人波に歩行者が巻き込まれ、ケガをした、というものでした。骨折などの重傷ではありません。医者の診断では、軽い打ち身、ということです」
 田沢は簡潔に報告した。
「あら、まあ」
 少し驚きはしたものの、安堵した気持ちのほうが大きかった。
 ケガをした人間の症状が軽かった、のほかにもうひとつ。田沢がケガをした人間の名前を言わない。今宵と多少でも関係のある人間ではないのだろう。
「ケガをされたのは、どんな方だったの?」
 関係ないとはいえ、多少は気になる。
「講演の来場者ではありませんでした。十代の少年です。ちょうど会場前を通りかかったところを、流れに巻き込まれたとかで」
 十代、という言い方にひっかかった。
 日本の全国民には個人カードが支給され、外出の際は携帯を義務付けられている。病院に入院するのなら、当然カードの提示を求められているはずだ。田沢もデータを見て、年齢を正確に把握しているはずである。なのに、十代という曖昧な言い方。
 今宵の疑問が顔に出たのだろう。田沢は唇の端を吊り上げる皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「少年のカードは破損してました。倒れた際、誰かに踏まれたそうです。年齢は自称で十八歳です」
「親御さんは心配されているでしょうね」
 田沢は首を横に振った。
「親はいないそうです。事故当時、弟さんが一緒で、その弟さんが、病院でも一緒でした」
「あら、それは、その弟さんは心配でしょうね」
 今宵に兄弟はいない。両親は、幼い頃に相次いで病死してしまった。祖父であり、衆議院議員だった茶屋剛に育てられたのだ。
 今宵が年齢制限ギリギリの弱年ながらも衆議院議員に当選したのも、祖父の地盤を受け継いだためだ。
 自分のケガや病気を優しく世話し、心配してくれる親兄弟などの近しい身内。そう思うだけで、今宵の胸は甘く、柔らかく締め付けられる思いがした。
「少年は、その弟もですが、貧しい身なりでした。未就業のホームレスでしょう。あちらが不法な要求をしてこない限り、表沙汰にするつもりはありませんが、事故はおそらく狂言だと思われます」
 今宵の感傷は、田沢の言葉で粉々に打ち砕かれた。
 衆議院議員の今宵の名を利用して、利益を得ようとする人間は数えきれないほどいる。そのホームレスの兄弟も、そのうちのひとつということになるのだろう。田沢の言うとおり、よほど悪質でなければ、今宵の立場上、目くじらを立てて少年の嘘を暴き立てることはできない。
 そんなことをマスコミに嗅ぎ付けられれば、面白おかしく書き立てられるのがオチだ。


 甘い感傷に現実を突きつけられ、今宵はどっと気分が落ち込んだ。しかし、顔には出さない。そんなことでいちいち感情を露わにしていては身が持たないし、議員も務まらないと、これまで散々勉強させられてきたのだ。
 今宵は平静を装って続けた。
「会場の外ということで、こちらに直接責任のあることではないかもしれないけれど、治療費はこちらが負担する旨を伝えてください。それと何か適当なお見舞いの品を。ところで」
 今宵は話題を切り替えた。
「経団連の方々の反応はどうでした?」
「会場を満員にした先生の集客力に、皆さん大変満足されてました」
 田沢は力強く答えた。
「一般聴衆だけでなく、東京初講演の茶屋先生の登壇を見ようと、マスコミも各社詰めかけてました。化石燃料車、ハイブリッド車、電気自動車に続く次世代推進カー『スカイゲートR』の試作機発表には、うってつけの舞台になったと、皆さん、喜んでおられたようです」
「それはよかった」
 今宵は胸を撫で下ろした。
『スカイゲートR』は、日本産業界と社会平等党が、産官共同で推し進める一大プロジェクトである。
 これまで続いた内燃機関車から、スカイゲートRはついに燃料、動力を内部から切り離し、完全無燃料、無音の長距離走行を可能にしている。中空に浮くホバークラフト走行であるため、路面の状態も選ばない。
 まだ量産化のメドはついておらず、道路上を走るのは十年後とも言われてる。当座は現行車両が入っていけない化石燃料の坑道など、危険地域での試用がメインである。
 だが、スカイゲートRの新技術こそが、停滞する日本経済の切り札になると、経済界、政府は期待しているのだ。
 今宵自身は、スカイゲートRがどのような仕組みで動くのか、またどのような経済効果をもたらすのか、まだ完全に理解しているとはいえなかった。
「スカイゲートの電気系統を提供しておられる最大手の電機メーカー・ミカタの会長も見えておられました。近いうち、茶屋先生との会食をぜひに、とのことです」
「わかりました。セッティングしておいてください」
「かしこまりました。ミカタ会長の資料も、明日のお昼には先生が目を通せるよう、揃えておきます」
 一年半前、衆議院議員に立候補して以来、今宵の仕事の大半は、ひたすら有力者と会うことだった。
 自分の祖父ほどの年齢の人間に会い、ひたすら相手の話に相槌を打つ。お礼を述べ、選挙応援のお願いをする。
 過去の話を持ち出す老人の会話の内容など、今宵には八割方理解できなかった。それではいけないのではないか、と勉強したこともある。だが諦めた。十代の女子高生が付け焼刃の勉強したところで、追いつけるようなものではなかった。
 田沢をはじめとした内部の応援者も、話を聞くだけでいい、割り切って考えるように、とアドバイスしてくれた。
 たしかにそうだ。十代の小娘が小賢しく返事したところで、相手が良い印象を持つわけではない。
 以来、今宵は有力者との会食に望む際、相手のプロフィールを頭に入れておくことだけにした。
 自分の過去を調べているというだけでも、相手は気分よくなれるようだった。
 そんなことを十年も続けていれば、だんだんと理解できることも多くなってくるのでないか。
 それが、わずか十六才にして、国会議員史上最年少当選を果たした今宵の、達観とも、開き直りとも言える処世術であった。
「政党の反応はどうでした? 演説に立つ前、政調会長がお見えになったけど。私のほうから何も見えなかったし、田沢さんとは意見を聞く前に、別れちゃったしで」
「成功だったと思います。わたくし、出席していた社会平等党のお歴々の後ろで聞き耳を立てていました。その場では特に問題視される発言はありませんでした。むしろ、満員の聴衆を集めた茶屋先生の人気に、驚かれていたご様子で」
「原稿は本部にだいぶ変えられましたからね。あれだけ何度もダメ出しされて、やっとOKをもらったのに、本番ではやっぱりダメだった、なんて言われたらキレちゃうわ」
「先生は、本来、国自党寄りのお考えですから」
「そうね。田沢さんにしか言えないことだけど、私は本来、社会平等党の理念には、少し疑問を持ってる。社会福祉が厚過ぎて、日本はいま、停滞しているわ。もっと競争の原理を導入して、活力を生み出す仕組みを作らないとダメだと思う」
 田沢は無言で頷いた。田沢の言うとおり、今宵の考えは、ライバル政党である国自党にかなり寄っている。
 今夜の原稿も、今宵が本来訴えたい政策と、党名どおり、社会の平等を旨とする党の政策理念との刷り合わせで、幾度となく折衝を繰り返した。
 双方満足は出来ないまでも、なんとか納得できるものにはなった。それでも、今宵にとって不満なことはまだあった。
「何度もやり取りしたおかげで、随分お堅い原稿になっちゃったわね。今日の聴衆の方たちは、私を、小娘の割にはずいぶん堅苦しい、面白みのない人間だと思ったでしょうね」
「そんなことは」
 田沢は反論しかけたものの、否定しなかった。
 今日の原稿が、お仕着せ感のあるものには違いないとわかっているのだろう。
 今宵とて、可愛いと思ってもらう必要はないとしても、そこは十七歳の女子高生である。人間味のない、ロボットのような政治家だと思われたくはなった。
「ねえ、田沢さん。わたし、アイデアが浮かんだのだけれど」
 今宵は、胸の前で両手の平を合わせてみせた。
「今日、講演後、事故に巻き込まれたっていう兄弟、お兄さんのほうをね、お見舞いに行くっていうのはどうかしら?」
「先生ご自身が、ですか?」
 田沢が訝しげな声をあげる。眉のひそめる田沢を無視して、今宵は続けた。
「そう。そのお兄さんの事故は、私とは関係ないんでしょうけど、でも丸っきり無関係なわけではない。だって、私の講演の人波に巻きこまれて、ケガをされたんですものね」
 田沢が相槌を打つ。
「直接責任はない。でも責任を感じて、私は病院へお見舞いへ行く。政治家としての責任感と、女らしい優しさをアピールできると思うんだけど」
 田沢は、左手の指先を額に当てた。田沢の考え込むときのクセである。
「なるほど。悪くは、ありません」
「ね、そうでしょう」
「あまり大々的にやり過ぎると、あざとい印象を与えるかもしれません。懇意にしているテレビ局一社にだけ、情報をリークしましょう。話題の女子高生衆議院が、ケガ人のお見舞い。その社が取り上げれば、後追いで他のマスコミも来るでしょう」
「じゃあ、決まりね。そういう手配にしておいて頂戴」