夜会の子犬と三毛猫姫

終、夜会の子犬と三毛猫姫
(まったくこのニコ様ともあろう者が、とんだ名脇役だったわね)
 自分の小部屋でベッドに身を投げ出したニコは、顔の上に枕を押し付けた。
 仏頂面をつづけようとするが、気を抜くと、つい顔が緩んでしまう。
 脳裏に浮かぶのは、三年前のことだった。

 ―― マグリットは泣きつづけていた。
 初めての夜会の前である。
 小さな頃から『カラス』とからかわれてきた黒髪を、街で買い求めた染粉で染めたのが失敗だった。
 染粉は売れ残りを詰めたものだったらしく、白っぽい黄色と茶色が混じった粗悪品だったのだ。
 異常に気付いたマグリットは、慌てて染粉を洗い落とそうとしたが、流れ落ちずに斑模様となり、ふた目と見られない有様に。
 マグリットは夜会の控え室で、頭をショールで覆い、ソファに蹲ってシクシクと涙をこぼしつづけた。
 そこへ通りかかったエプロン姿の女の子が声をかけてきた。
「どうしました?」
「あなた、誰?」
 マグリットはつっけんどんに聞いた。
「私はルシンダ・ナルカ。マグリット様ですね。数日前、王立学問所の入学式で拝見しました。同期の中で、同じ歳くらいの女の子はマグリット様しかいなかったから、私はよく覚えてます」
「ああ、そう。悪いけど放っておいて頂戴。私いま、とてもアナタとお話しする気分じゃないの」
 マグリットは邪険に追い払おうとした。
 女の子、ルシンダは、ショールからこぼれ落ちる奇妙な髪色と空になった染粉の瓶を見て事情を悟ったようだった。
 ルシンダは何も言わず部屋を出て行った。
 再びひとりとなり、マグリットは改めてさめざめと泣こうと思った。
 夜会を突然欠席すれば、招待してくれた夫人の顔に泥を塗ることになる。失礼な小娘だと、怒りと共に嘲笑の対象となろう。
 今の髪の惨状のまま出席しても、笑いの種になることは確実だ。
 マグリットは、退くも進むもできなくなっていた。泣くことしか、できることはない。
 間もなく、先ほどの女の子が戻ってきた。どこから持ってきたのか、観賞用の大きなヌイグルミを二つ、両手に抱えている。丸い耳の犬と、とがった耳のネコをかたどったものである。
「ちょっとごめんなさいね。後で必ず直しますから」
 控え室の椅子に腰掛けたルシンダは、ヌイグルミにそう謝ると、エプロンに入れていた鋏で、チョキチョキと器用にヌイグルミの頭を切り取りとった。
 針と糸を取り出し、耳は残しながら、頭の部分を頭巾のように細工する。
 ルシンダは犬の耳のそれを、自分ですっぽりと被った。
 鏡を覗き、出来栄えをたしかめる。
「うん、あとは顎ヒモをつければいいかな」
「あなた、何してるの?」
 マグリットはしげしげと、泣くのも忘れてルシンダに見入った。
「わたし、ほら、こんな髪でしょう」
 ルシンダは襟足に伸びた焦げ茶色の巻き毛を、人差し指でクルクルと弄んだ。
「お父様に『焦げ茶色の可愛い子犬ちゃん』って呼ばれてるわ。小さい頃はそれで嬉しかったんだけど、大きくなってもってのは、ねえ?」
 ルシンダは小さく溜息をついてみせた。
「全然変わらないのよ、今でもお父様は私を子犬ちゃんて呼ぶの。いつになったら立派なレディみたく、少なくとも外見だけでもね、中身は無理そうだから、なれるのかしら」
 マグリットはひどい有様になっている自分の髪のことを忘れて、まじまじとルシンダを見つめた。
 ルシンダは手にしていたヌイグルミの猫の耳を、マグリットの頭にそっと乗せた。
「ホラ、これでニコ(三毛猫)姫の完成よ。すごく似合うわ。ちょっと……その……、派手だけどね。だけど、焦げ茶色の子犬と三毛猫姫が広間に現れたら、夜会はきっと盛り上がるわ」
「あなた、私がこんな風になって、嬉しくないの? それとも、からかってるの?」
「からかってなんかいないわ。嬉しいって、あなたの髪がそんな風になってるのが?」
「そうよ」
 マグリットはなぜか胸をそびやかした。
「だって私ならそう思うわ。私より美しい人が、みじめな有様になってたら『あら、お気の毒に』って顔はしてみせてもよ、内心は『いい気味』と思うのよ、私は。もっと恥をかけばいいと思う。それを恥をかかないように、少なくとも自分も一緒に、なんて私は思えないし、信じられないのよ」
「私は……」
 ルシンダはしばし思案した後、続けた。
「私は、そうは思わない。いえ、マグリット様の言うことはわかるのよ。私も嫉妬してそういう気持ちになるわ。だけどマグリット様は、う〜ん、なんていうのかな。さっき仰ったようなようなことは、本当はしない。心の中ではそう思ってるつもりでも実はそうじゃない。そんな気がする」
 マグリットは、ルシンダをしげしげと見つめた後、右手を口元に持ってきてプッと吹き出した。
 そして、高らかに笑った。
「アハハハ、あなたって変な子ね」
 マグリットは、今度は笑いすぎて涙を流した。
「そんなこと言われて、それでもしつこく『私は性悪な女ですッ!』って言ったら、ホントに私、バカみたいじゃない。あなた、名前はなんていったかしら?」
 ソファから立ち上がり、姿見にまだら模様の髪と猫耳を映しながら、マグリットが聞いた。
「ルシンダよ。皆はルーって呼ぶわ」
「ルー。いい名前ね。ありがとう、ルー」
「いきましょう。マグリット様。“私たちだけは”の仮装夜会へ」
「“ニコ”って呼んで頂戴、ルー」
 その日に夜会で起きた大反響は、ニコにとって生涯忘れられないものとなった。
 三毛猫に扮して、わざわざ髪まで染めて登場したニコに、男性たちは引きもきらずに押し寄せ、その奇抜なアイデア、実行する行動力、そして、ニコ本来が持つ美しさを口々に褒め称えた。
 三毛猫のいでたちに、宝石のような蒼い瞳の組み合わせは、高名な絵描きが渾身の力を振り絞って完成させた名画のごとき魅力で人々を惹きつけたのだ。
 年配の婦人たちは、顔をしかめる者が多かった。しかし内心、自分たちが若い頃、やりたくてもやれなかったことを大胆に実行したニコに、どこかしら共感を覚えるものも少なくなかった。
 とにもかくにも、ほんの数刻前まで、この世の終わりと嘆き悲しんでなどとは誰も信じられぬほど、ニコの初めての夜会は大成功で進んだのだ。
 光り輝き、夜会の主役をつとめるニコを、ルーは広間の片隅で眺めていた。
 もう犬の被り物はとってしまっていた。
 美しい三毛猫と共に入場した地味な子犬のことなど、覚えている者は誰もいはしない。
 夜会の子犬本人と、三毛猫姫をのぞいては。