夜会の子犬と三毛猫姫

1、焦げた巻き毛の女の子
 誰もが注目する華やかな踊りや、両手に抱えきれないほどの花束は、綺麗で可愛いか、身分の高い女の子のもの。
 どちらも無い女の子は、壁の花となり、時折り見かける“素敵だな”と思う男性が、自分を踊りに誘ってくれることを空想するしかない。
 ルーは白い手袋をした右手で自分の前髪をつかみ、そっと目の前に持ってきた。
(フゥ……)
 心の中で溜息をつく。
 フライパンで焦がしたような茶色。チリチリとまとまりなく曲がりくねったクセっ毛。
 肩にかからないくらいまでしか伸ばしていない。
 これ以上伸ばすと、猫が弄んだ毛糸玉のように、とんでもないことになるからだ。
 夜会の主人公に、自分はなれはしない。
 主役になれる、主役として望まれるのは……。
 甘い音色を奏でていた楽士たちの音楽が終わった。
 踊りが一段落し、飲みものを求める者、談笑にふける者、次のパートナーを求める者で、広間はよりいっそう賑やかになる。
 そんな中、ひときわ大勢の男たちに囲まれる中に、夜会の“主役”の姿があった。
 着飾った若い男たちの間を割るようにして、主役が壁に背中をつけたルーに近づいてきた。スラリと長身の女である。
 腰まで伸びた黒髪は、ひとつのうねりもなく真っ直ぐで、散りばめられた銀粉の効果もあり、星の瞬く夜空を思わせる。
 澄んだ湖のような蒼い瞳は、それ自体が何百クラン金貨を積んでも手に入らない、この世にふたつとない宝石だ。
「子爵様が秘蔵のワインをお開けになるそうよ。私は居間で頂いて、それからもう少し踊るわ。あなたはどうする、ルー?」
 小柄なルーより頭半分以上は高い長身の美女が、見下ろしながらルーに尋ねてきた。
「私はこれでおいとまするわ、ニコ。明日は学問所の日だし、その準備もあるから」
「そう」
 ニコ、と呼ばれた黒髪の美女は、とくに引き止めもせず頷いた。
「一人で帰れる、ルー? 私の衛士を付けるわ」
 ニコは、燃えるような崇拝の目で、彼女の側を片時も離れようとしない若い男に声をかける。
「申し訳ないですが、馬屋で待機している私の衛士に、友人が帰るので自宅までお送りするように、お伝えいただけませんか?」
「は、はい、喜んで!」
 ニコの頼みに、顔を真っ赤にして喜び勇んで駆け出そうとする若者を、ルーが慌ててとめた。
「だ、大丈夫ですッ。大丈夫よ、ニコ。ここから私の家は近いし、今日は星明りもあるから」
 親切を拒否したルーに腹を立てるでもなく、ニコは素っ気なく頷いた。
「そう。それじゃ気をつけてね、ルー」
「ありがとう、ニコ、気を遣ってくれて。それでは皆様、失礼いたします」
 ルーはニコの取り巻きの男たちに頭を下げて、その場を離れた。
 夜会を主催した子爵の屋敷を出る際、十六歳のルーと同じくらいの女の子二人の会話が、耳に飛び込んできた。
 玄関脇のテラスで歓談しているらしい。
「まったく、憎々しいったらありゃしない。ニコ様が来ると、男たちが皆なびいちゃって、ホントくやしいわ」
 チラと目をやると、薄桃色のドレスに金髪の女の子が肩を怒らせていた。
「そうね。早く帰ってくれればいいのに、いつもけっこう居残ってんのよね。自分がどれくらいモテるか、見せびらかしてるのよ。嫌な人」
 相槌を打つ藍色のドレスの女の子の声には棘がある。
「あんな見せかけだけの綺麗さに惑わされる男たちも男だちだわ」
「そうね、ところでさ」
 金髪の女の子が話題を変えた。
「ニコ様がいつも一緒に連れてくる焦げ茶色の変な髪の女の子、何て言ったっけ?」
「ああ、あのボサボサした髪の子でしょ。たしかルー様とか」
 自分の名前が出て、ルーは心臓がドキンと鳴った。
 さっさと出て行くつもりだったが、去るに去れない。
「なんだかすごく家格の低い子らしいわよ。有力伯爵レイセン家のニコ様とは比べ物にならないとか」
「そうそう、それよ。なんでニコ様は、あんな地味でパッとしない子をいつも夜会に連れてくるのかしら?」
「フフッ、それはね」
 藍色のドレスの子が、嫌な含み笑いを洩らした。
「あなたも半分わかっててそんなこと聞くんでしょうけど、そりゃ自分を引き立てるためよ。隣に冴えないのを置いときゃ、余計に自分を美しく見せられるってわけ」
「やっぱり! まあそれくらい計算高くて貪欲じゃなきゃ、夜会でのし上がっていけないってわけね。家格は高くて、見た目は綺麗。でもさらに“努力”が必要、と」
「ホント、見習わなければいけないというか、見習いたくはないというか」
「フフフ」
「そのルーって子も、自分が利用されてるだけだってこと、わかってるんでしょうに」
「そりゃね、そっちも打算よ、打算。貧乏貴族らしいから、ニコ様にくっ付いてりゃ何か良いことがあるかもしれないし」
「何か良いこと?」
「余った男を紹介してくれるかもしれないでしょ」
「キャー!」
 そこまで聞いて、ルーは顔を伏せながら慌てて外へ出たのだった。