夜会の子犬と三毛猫姫

7、夜会だョ、全員集合
 ヴァンロッタ公爵家舞踏会。
 王家の遠縁に当たる高位家格の夜会である。
 この夜会を最後に、ルーはボイドに連れられて田舎へ帰ってしまうのだ。
 とりあえず挨拶だけの一時帰郷といえ、ブラボゥト家とナルカ家の間で正式に話が進めば、二度と王都に帰ってこない可能性が高い。
(何としても、それだけは阻止しなくちゃ)
 ニコは、断固とした決意で今日の夜会に臨んでいた。
「それにしてもあのアホ、まだ来てないじゃない!」
 ニコが毒づく。
 今宵の夜会の招待状は、ニコには届いたが、普通ならば下級貴族のルーには来ない。ニコが公爵夫人に頼み、ルーのぶんも用意したのだ。
 ペイトンの家格では、公爵家の夜会には出てこられまいと、その分も確保しようとしたニコだが、ペイトンは自力でやって来るという。
「あら、誰か知り合いが来るの、ニコ?」
 何も知らぬルーは、葡萄酒のグラスを片手に、物珍しげに豪奢な伯爵家舞踏会広間を見回している。
「あら、あちらにラスター夫人が見えてらっしゃるわ。あとで挨拶に伺わなくちゃ」
 呑気なルーだが、ニコにはそれどころではない。
 ルーに、ペイトンが今日の夜会に来ることは話していない。
 無論、ペイトンがルーに結婚を申し込むであろうことも。
「びびっちゃって、その辺のカーテンの陰に隠れて震えてんのかしら?」
 二百人はゆうに入れるヴァンロッタ公爵家の舞踏会広間。
 二十人ほどの楽士が楽隊を組み、静かな、しかし心弾む夜会の幕前曲を演奏している。
 ニコに周りにも次第にいつもの男友だちが集まってきて、周囲の視界を悪くしていた。
 間もなく、白髪白髭の小柄な男が、楽隊の前に立った。糊の効いたピシッとしまったシャツと上着で身を固めている。ヴァンロッタ公爵当主である。
 公爵は手振りで楽隊の演奏を止めさせた。
 音楽が止み、公爵の登場に人々が気がつき、広間が一瞬にしてシンと静まりかえる。
「皆様、今宵我がヴァンロッタ公爵家の夜会にかくもお集まりいただき、お礼の申し上げようもございません」
 公爵が、老齢とは思えぬ高らかな声をあげる。
 広間から、おずおずとわずかな拍手があがった。
(おかしい……)
 ニコは思わず眉を寄せて、口元に手を当てて考え込んだ。通常の夜会では、主催者はこんな挨拶などしない。
 来訪者は自分の家格に合った大体の時間にやってきて、勝手に踊り、自由に歓談して、気が向いた時に帰るだけである。
 主催者本人が顔を出さない夜会も珍しくはないのだ。
 夜会の始まりに正式な合図、挨拶があるのは、国王主催のものだけだ。
 そんなことは知らないルーは、傍らで相変わらず呑気に「あの人が公爵様なのね」などと呟いている。
 しかしニコの戸惑いが一人だけのものではないことは、先ほどの少ない拍手が証明している。みな公爵の突然の挨拶に困惑しているのだ。
 しかし、公爵は満面の笑みを浮かべて胸を張ると、場の戸惑いに満足げに頷いている。
 そして、続く発表でみなの疑問と、自分の誇らしげな態度の謎を氷解させたのだった。
「ご来場のみなさまに、大変喜ばしいお知らせがございます。王家のご長男にして、第一王位継承権者アラベク様が、我がヴァンロッタ公爵家の夜会へご来場になられました。みなさま、盛大な拍手でお迎えください」
 静まり返っていた夜会が、わっと湧き立った。
 嵐のような拍手の中、広間に姿を現したのは、白い軍衣に身を包み、両肩に瀟洒な薄紫のマントを下げた、がっしりした頬骨と骨格が際立つ三十半ばの男だった。
 茶色い髪を耳の後ろにウェーブさせ、一部の隙もない着こなしである。
 第一王位継承権者、アラベク王子。
 王子は片手を上げて人々の歓声に笑顔で応えると、人並みを割りながら、広間の中央に歩を進めた。
 アラベクを中心に、あっという間に人垣ができる。
 ニコとルーは、少し離れた場所からその様子を見守っていた。
「さすがに王家の長男にして、第一王位継承者様ねえ。その辺のちょっと洒落た貴族とは物腰が違うわ。あれで独身だったら、私がガッチリ討ち取ってものにするんだけど」
 ニコはワインに口をつけながら、ルーの婚約阻止計画もちょっとのあいだ忘れて、気楽に騒動を楽しんでいた。息を飲んだ。
 いつの間にかラスター夫人がそばへやって来て、ルーと気軽な会話をしている。
 ルーにとっても、ラスター夫人にとっても、王家の人間などあまりにも雲の上過ぎて現実感がないのだろう。
 そういえば、ラスター夫人はどうやってこの夜会へ来たのだろう? 爵位も無いラスター家に、ヴァンロッタ公爵夫人が招待状を送るとは思えないが……。
 そんな疑問を覚えたとき、アラベクと取り巻く人垣が動き始めた。誰か、探している人間がいるのだろうか。
 しかし、アラベクが真っ直ぐニコの元へ進んできたとき、さすがのニコも足が震えた。
 後にこの時のことを、いつもの小部屋でニコはルーに述懐した。
『はいはい、私の美人の噂を聞きつけて、王子様はこの夜会に来られたのだと思いましたよ。はいはい、笑って頂戴、笑って頂戴。この鼻が高く伸びきった高慢ちきな小娘の、マヌケな思い上がりを思い切り笑いの種にして頂戴な』
 アラベクは、たしかにニコの元へやってきた。しかし、第一王子が用があったのは、ニコではなく、その後ろでルーと歓談している太った中年の婦人、ラスター夫人だった。
「こんばんは、ラスター夫人」
 アラベクが床に肩膝を付き、ラスター夫人の手を取り、その太った手の平にそっと口づけをする。
「まあ、アラベク様!」
 ラスター夫人は思いもかけぬ展開に絶句していた。
「先日は弟が夫人の夜会へ出席の返事を出したにも関わらず、出席できなくて申し訳ない。弟はなかなか出不精なもので、私が出席するよう尻を叩いたのですよ。それが直前になって萎縮してしまったようで。不肖の弟ヴォルデニクに代わり、私が謝罪させて頂きます」
 アラベクは膝をついたまま、優雅に一礼した。
「まあまあ、アラベク様、そのようなもったいないお言葉……」
「ラスター夫人、よろしければ私と、今宵最初のダンスを踊っていただけませんでしょうか? そのために、公爵夫人にはラスター夫人へ招待状を出して頂いたのですよ」
「まあまあ……」
 ラスター夫人は感極まった表情で、それこそ今にも涙を流さんばかり面持ちで、差し出されたアラベクの手に、丸々太った自分の手を乗せた。
「今日はヴォルデニクも連れてきているのですよ。ほら、ヴォル、ラスター夫人にきちんと先日のお詫びをなさい」
 アラベクの後ろから姿を現した青年を見て、ラスター夫人は顔色が変わった。
 顔から血の気が引いたのは、先ほどからずっとこの様子を眺め、アラベクの男振りに感心していたニコも同じだった。
「ちょ、ちょっと、ルー!」
 言葉が続かず、口だけがパクパクと池の魚のように動いてしまう。ニコはルーの袖を引っ張ろうとしたが、空振りした。
 ルーはそこにはいなかった。
「あ、あれ!?」
 振り向くと、ルーがアラベクたちとは反対側へ小走りに駆けていくのが見えた。
「ちょ、ちょっと、ルー!」
 ここの留まるべきか、ルーを追うべきか。少し躊躇った後、ニコはルーの後を追った。
 ルーは、窓際のカーテンそばの椅子に腰掛けている人物の元に歩み寄り、その足元にひざまずいた。
 ニコは顔をしかめるのを我慢することができなかった。そこに腰かけているのは“無礼なジャガイモくん”ボイドだったのである。
「ボイド様、いらしてたんですか」
 ルーが優しく声をかける。
 ボイドは、背中を丸めてしょんぼりと椅子に腰掛けていた。
「あ、ああ、ルーか」
 元気なく呟く。それでもしっかり両手に鳥の腿肉を握っているところが、ボイドらしいと言えばボイドらしかった。
「今日、こちらに見えられるとは知りませんでした」
「ああ、ヴァンロッタ公爵家とうちのブラボゥト家は、祖父の代からの付き合いだからな。だから僕に招待状が来たのさ。お前こそ、よくここに入れたな?」
「ええ、ニコが招待状を手配してくれたんです。どうされました? ずいぶんお元気がないようですけど」
 ルーの問いかけに、ボイドはビクリと反応した。そして巨体を震わせて顔をしかめると、その目からポタリポタリと涙が流れはじめた。
 これにはニコが驚いてしまった。
「うっ、うっ、ルー。誰も、誰も僕を相手にしてくれないんだ。あれからあちこちの夜会に行ったけど、女の子にダンスを申し込んでも、みんな笑いながら遠ざかっていくんだ。そして、見えないところで僕のことをバカにしてる。ううっ、ルー、僕はそんなにダメな男かい?」
 ええ、アンタはダメな男よ、とまでは、この状況ではさしもの毒舌のニコも口にすることはできなかった。
 とはいえ、いま目の前でルーがしているように、その涙をハンカチで拭ってやるまでは、ニコにはできない。
 ルーに優しい言葉と気遣いに、ボイドは溜まっていた悲しみを堪えきれなくなったらしく、大粒の涙が止まらなかった。
「まあ、ボイド様」
 ルーはハンカチで流れる涙を拭いながら、ボイドが手に持っていた腿肉を皿に戻した。続いて、指についていた脂を拭う。
「ボイド様、皆がバカにしているなんて、そんなことはありませんわ。ボイド様は王都に来られてまだひと月ですし、みな最初は分からないし、失敗するものです。そうだわ」
 ルーはそこでパチンと両手の平を胸の前で合わせた。振り返ったルーの瞳と、ニコの視線がかち合う。ニコは嫌な予感がした。
「ニコ、お願いがあるの」
「ダメ、ダメよ、ルー。あなたが何を言いたいかわからないではないけれど、今はダメ。それに、その前にちょっと来なさい!」
 ニコは強引にルーの腕を引き、広間の中央に向かった。
「ルー。はっきり言ってそれどころじゃないのよ。ほら、あっちをご覧なさい」
 ニコが指し示した先には、ラスター夫人に頭を下げる赤毛の若い男の姿があった。
「あら、あれはペイトン」
 ルーが驚きの声をあげる。
「ペイトンじゃなくて、いえ、ペイトンはペイトンなんだけど、あれはヴォルデニク王子様なのよ!」
「えー!」
 ルーは素っ頓狂な声を上げ、慌てて両手で口を覆った。
「ルー、あなたも知らなかったのね?」
「知らないわ。知るわけがないわ。だって、ペイトンは普通の私塾生だったし、まさかヴォルデニク様、あの時ラスター夫人の台所で踊ったのが王子様だったなんて……」
(思いもかけないことだったけど、これは好機だわ)
 ニコは心の中で指を鳴らした。
 ペイトンの周りには、すでに大貴族の令嬢たちが幾重にも壁を作っている。少しでも知己になろう、そしてあわよくば何らかの特別な関係であることを周囲に示す、踊りの第一の相手に選ばれようと、虎視眈々と狙っているのだ。
(私の大事なルーの相手に、ペイトンは家格が低いのが不満だったけど、王子様なら文句ないどころがお釣りがくる)
 ニコがブツブツと呟いていると、二人を見つけて、ペイトンが令嬢たちの壁を割るようにして、ツカツカと二人の元へやってきた。
「こんばんは、ルー、そしてニコ様」
 ペイトンは、いつもと変わらぬ気取らぬ態度で柔和な笑みを浮かべながら、二人に挨拶した。
 ペイトンの後ろから、悲鳴にも似た令嬢たちの喚声があがる。
「や、やっぱり王子様もニコ様を……」
 令嬢たちの歯軋りが聞こえてこんばかりだが、その思い違いを訂正する余裕も手段も、ニコにはなかった。
 目の前にいるのは、まぎれもなくニコが知る私塾生のペイトンである。
 しかし、今宵は衣装が違った。いつもの簡素な市民の服ではなく、今日はアラベクと同じく白い軍衣を纏い、胸の留め紐には、ギラリと赤く輝く大鷹を象った、王家の属する人間の紋章が彫りこまれている。
「ルー、僕はあなたに謝らなければなりません。王家の四男坊であることをずっと隠していて。“ペイトン”は僕の幼名なんです。ボーマスという子爵号も、それぞれの王子に与えられる、何の実権もない、本当に形式的な号で」
 ペイトンはルーの手を取り、深々と頭を下げた。
「まあ、ペイトン。頭を下げるなんて。そんなことをされたら、私のほうが困るわ」
「おお、ルー。僕のことをまだ『ペイトン』と呼んでくれますか?」
「だって……、いまさらヴォルデニク様とは呼びにくいでしょ。それに、私はペイトンに、身分を隠してくれてて感謝してますわ。だって、もしラスター夫人のお屋敷で初めてお会いした時、正直に名乗られたら、わたし緊張のあまり、あの日おかしなことばかりしでかしたに違いないですもの」
「ああ、ルー。やはり、あなたは僕の思っていたとおりの人だ。もっと早く正直に話していればよかった。ルーと会っているときは楽しくて仕方なかったけど、それでもずっと心のどこかで隠し事している後ろめたさがあったのだもの」
「まあ」
「よければルー、今宵最初を踊りを僕と踊って……」
「あ、ちょっとごめんなさい、ペイトン」 
 ルーはペイトンの話を遮ると、ニコの腕に自分の腕を絡めてグイグイ引っ張った。
「ちょ、ちょっと、なによ、ルー。王子様が最初の踊りを申し込んでるのよ!」
 ニコが懸命に抗議するも、もう手遅れだった。
 ペイトンの周りにはあっという間に貴族の令嬢たちが群がり、熾烈な踊りの申し込み合戦が繰り広げられ始めたのだ。
 人波に飲まれたペイトンの姿はまったく見えなくなってしまった。
「いいから、いいから」
 無理やりニコが引っ張られていった先は、案の定、しょんぼり座っているボイドのところだった。
「ボイド様、今宵最初のダンスは、ニコとお踊りください」
「ちょ、ちょっと!」
 不満の声をあげるニコを、ルーが制した。
「お願い、ニコ。今夜はボイド様と最初に踊って差し上げて」
「だから、今夜はそんなことじゃなくて、ヴォルデニク様が!」
 ニコの抗議を、ルーは聞いてはいなかった。
「ボイド様、ニコは王都一の美人と言われていて、最初の踊りの相手を務めるのは、殿方たちにとっては大変名誉なことですからね。ほら、お立ちになって」
 のっそりと立ち上がったボイドを、強引に押し付けられたところで、楽隊の演奏が始まった。
 本格的な宴の夜がはじまったのだ。
 まわりに合わせて、ニコは渋々ボイドに手を取られながら、ステップを踏み始める。
 広間の中央に目をやる。ペイトンがどこぞの令嬢と、最初のワルツを踊り始めていた。
 その周りを、大勢の女の子が遠巻きに取り囲んでいる。
 次の踊り相手となるべく、虎視眈々と機会を狙っているのだ。
 目の前のボイドは、汗を流しながら懸命にぎこちないステップを踏んでいた。
 ニコにとっては、こんな初歩的なワルツなど、眠っていても踊れるくらいのものだった。
 ふと、ボイドを口汚く罵ってやりたい衝動が込み上げてきた。
 罵倒の言葉は喉まであがってきたのだが、すんでのところでニコは飲みこんだ。
 大きく息を吐いて、肩の力を抜く。
「まったくもう、ルーったら、人の世話ばっかり焼いて……」
 ボイドのぎこちないリズムに合わせて、ゆったりとステップを踏む。
 ニコの口元には、諦めと共に、ちょっぴり満足気な笑みが浮いていた。