ピカリンの株式投資的ツインテール
終、貧乏神と福の神
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株式会社チョコレート 破産手続き開始および当社株式の上場廃止のお知らせ
当社は八月二十五日をもって、地裁へ破産手続を開始。会社は清算されることとなりました。
合わせて監理ポストに入っていた当社株式は、本日付をもって東京証券取引所を上場廃止となります。これに伴いまして、同取引所における当社株式の取引が終了いたします。
株主の皆様はじめ関係各位におかれましては、多大なご迷惑をお掛けし、心よりお詫び申しあげます。
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企業情報速報をネットで見たのは、チョコレート株を九十万円分買った翌日のことだった。
チョコレート株は、トイレットペーパーに交換できる古新聞より役に立たないゴミに。九十万円は、一千万円になるどころか、ゼロとなったのだ。
ピカリンは、ディスプレイの前で呆然となった。
「すまぬ……」
エビっ子がおずおずと頭を下げる。
「いや、いいんだ。上がることもあれば、下がることもある。それが株だ」
言葉に棒読みぶりに、自分でも驚いた。
頭の芯が痺れたように真っ白になり、何も考えられない。何も考えたくない。
椅子から立ち上がると、体勢を崩し倒れそうになった。
「お、おい、大丈夫か?」
エビっ子が慌てて支える。
「あ、ああ、ごめん、大丈夫。ちょっとコンビニで飲み物でも買ってくる」
エビっ子の金髪をクシャクシャと撫でた。
「本当に大丈夫か。おぬし、小遣いも株で稼いでいたのじゃろ。これから、どうする?」
エピっ子が心配げな表情で見あげる。
「なーに、バイトでもするさ。おばさんにこれ以上迷惑かけるわけにはいかないしな。そうだ、コンビニ行くついでに、求人してるかどうかも見てくるか。ハハ、可愛い子と一緒に働けると楽しいんだけど」
フラフラと玄関に向かったピカリンは、靴を履こうとして再び体勢を崩した。鈍い音が室内に響く。スチール製の扉に嫌というほど額を打ちつけたのだ。
額を手でおさえ、玄関に四つんばいになる。
「痛ててて」
「お、おい!」
エビっ子が駆け寄ってきた。
「痛えなっ、くそっ!」
這いつくばったまま、ピカリンは拳を床に打ちつけた。
「くそっ、くそっ、なんで俺は、あんな株を買っちまったんだ。監理ポストを抜けて、五日連続でストップ高。そんな夢のまた夢みたいな奇跡、あるわけねーじゃねえか」
ピカリンの涙が、玄関のコンクリートに数滴の染みを作った。
夏休みが終わり、二学期が始まった。
「ただいま」
始業式から帰ってきたピカリンは、アパートの扉を開けて、靴を脱ぎながら中へ声をかけた。
エビっ子の返事はなかった。
まだ神棚で寝ているのか。チョコレート株が消滅して以降、二人の交わす会話はあいさつ程度になっていた。
あれ以来、株式投資はしていない。パソコンすら立ち上げていない。金儲けでつながっていた二人の会話が減るのは、自然の成り行きといえた。
「おーい、エビっ子。コンビニでのアルバイト、決めてきたぞ。時給七百円で明日からだ。ま、最低限の元手が出来るまで、半年は株はお休みだな」
相変わらず返事はない。部屋に入ると、ピカリンは違和感を覚えた。家具の配置が、微妙に変わっているような違和感。
泥棒?
金目のものは何も置いてない。あえて言えばパソコンである。しかし、愛用のデスクトップは、変わらず机上に鎮座していた。
久しぶりにパソコンの電源を入れる。無事に立ち上がり、おかしな点はない。
いや、あった。画面上、記憶にないテキストファイルが作られている。
ピカリンはファイルをダブルクリックした。テキストの白い画面が現れた。
『ごめん』
その三文字だけが打ち込まれていた。部屋に入れるのは、泥棒でなければおばさんかエビっ子だけである。おばさんはパソコンは使えない。
ピカリンは、ネット証券の口座にアクセスした。
そして、目を疑った。
チョコレート株で大失敗し、残は現金、現物を合わせて十万円を割っていたはずである。
ところが、ピカリンの資産時価は『一千二百万円』を表示していた。
(な、なんで!?)
資産状況を確認する。原因はすぐにわかった。
チョコレート株を九十万円分買うため、手持ち株式のほとんどすべてを売り払った。
売る必要がなかった分は、手元に残していた。三万一千株を計六万円で購入したTZRホールディングスである。
そのTZR株に、一株四百円の値が付いていた。取得平均単価二円弱からの大暴騰である。
仕入先のアメリカ自動車会社が倒産し、風前の灯火だったTZRが、なぜ火を噴いたのか。
ネットで検索すると、原因はすぐにわかった。
日本の最大手自動車メーカー・トヨサンが、TZRの販売網に目をつけ、株式買取で子会社化するニュースが発表されていたのだ。
合わせて、現在もっとも売れ筋の環境対策車も、TZRの販売網で販売を開始するとある。
株価が大爆発して当たり前だった。
ピカリンは、椅子にこしかけ、自分のものではないようにブルブル震える手で、TZR全株の売却を入力した。
圧倒的な買い場で、売り物がほとんど出ていなかったTZR株である。エンターキーを押した瞬間、売買は成立した。
ピカリンの現金口座に、一千二百万円が表示される。
システム上、実際に現金化できるのは明後日以降になる。しかし、株売却が約定した以上、表示された現金がピカリンのものになったのは、絶対確実だった。
一千万円など、手にしたどころか見たことさえない。
脱力していたピカリンだが、慌てて立ち上がった。
引きずるようにして、椅子を神棚の下に持っていく。
椅子へ飛び乗り、神棚を覗いた。
空っぽの冷蔵庫のような空虚な空間が、そこにはあった。古ぼけた白木造りの宮形が、消えてなくなっていた。
(バカヤロー!)
ピカリンは部屋を飛び出した。
エビっ子は、宮形を燃やせば、自分は消えてなくなると言った。そうすれば、ピカリンの金運も元に戻ると。
エビっ子は、自分の手で宮形を燃やしたに違いない。
だからこそ、紙屑同然のTZRホールディングス株が、信じられない大暴騰となったのだ。
燃やすなら、いったいどこで?
その辺でゴミと一緒に燃やしてもいいものなのだろうか?
いや、都会ではないとはいえ、ピカリンの住む街は、それなりの住宅街である。空き地などほとんどないし、そう簡単に焚き火などできはしない。
ゴミ回収車に出した?
ピカリンはクビを左右に激しくふった。
そうであればもうお手上げだが、違う気がした。
お札やお守りは、決まった時期にまとめて神社で燃やすのが普通だ。
ピカリンは一番近い神社へと走った。
夜、ピカリンはとぼとぼとアパートへ戻る道を歩いていた。
「十歳くらいの金髪の女の子が、宮形を抱えてここに来なかったか?」
一番近い神社へ行き、社務所へ寄って神主にそう聞いた。
来てはいない、という返事だった。
ピカリンは電車に乗り、他の離れた神社も当たった。
どこも、そんな女の子が来ていない、との返事だった。
エビっ子は、神社には行っていない。
であれば、その辺で燃やしてしまったのか。あるいは、ゴミ収集車に出してしまったのか。
一千万円はありがたかった。しかし、エビっ子を失ってまで得るほどのものだったか。
ネット株の取引は、孤独なものである。一人暮らしのアパートとなればなおさらだ。
散々、悪態を突き合った二人である。エビっ子の失敗に、腹を立てたことも数知れない。だが、どんなにエビっ子が失敗しようと、心の底から恨んだことはなかった。
それどころか、時折り投資を成功させた時に見せるエビっ子の得意げな笑顔が見たくて、無茶だとは知りつつも、ピカリンは彼女の推薦する株を買っていたのだ。
「エビっ子……」
ピカリンは肩をおとし、俯いて呟いた。
アパートに戻ると、扉は開いていた。鍵もかけずに飛び出してしまったらしい。
中は電灯まで付けっぱなしだった。
おかしい、部屋を飛び出したのは真昼である。電気など付けるはずもない。
六畳間のベッドの上に、制服姿のエビっ子があぐらをかき、清酒『美少女』を手酌で呷っていた。
「おう、遅かったの。どこに行っとんたんじゃ」
赤ら顔で出来上がっているエビっ子が、鷹揚に杯を差し上げた。
「オ、オマエこそどこに。探したんだぞ。宮形はどうした? 無くなって……」
神棚に目をやり、ピカリンは絶句した。
古い木造アパートの六畳間に相応しくない、三倍ほども巨大になった神棚が、天井付近に設置されていた。
神棚の正面には鏡、左右には榊、それに電気式の灯明を配し、さらにはしめ縄までと、かつてはなかった神具がてんこ盛りである。
「な、なんだ、このヤクザの事務所みてーな神棚は?」
「どうじゃ、立派じゃろ? ボロっちくて古い神棚は捨てて、新しいのを買ったんじゃ。さっきまで神具会社の人間が取り付けに来ておっての。今帰ったばかりじゃ」
「どこから金を……」
言うまでもなかった。TZRの利益以外にあり得ない。
ピカリンの視線に、エビっ子はにっこり微笑んだ。
「察しのとおりじゃ。お主は見とらん間も、わしは毎日株価をチェックしておったでの」
「だったら、上がってる途中に教えてくれりゃよかったじゃないか」
「まあ、そう言うな。中途半端な上がり方では意味はないと思うての。おぬしにぬか喜びさせまいと、一千万円に届くまで黙っておったのじゃ」
「新しい神棚、いくらだった?」
「百万円じゃ。明後日集金に来るゆえ、売却分が現金になったら、払うといてくれ」」
「ひゃ、百万円!」
ピカリンはふたたび絶句した。神棚に百万円。壮大な無駄のような気がした。
一瞬、腹の立ちかけたピカリンだったが、むっつり黙り込むと、やがて苦笑しはじめ、とうとう大笑いし始めた。
「なにがそんなにおかしい、ピカリン?」
エビっ子が訝しげに尋ねる。
「いや、なんでもねーよ」
ピカリンは目に涙を浮かべながら答えた。
「で、新しい家はどうだ。神様の予想はさらに当たりそうか」
「うむ、任せておけ。なんだかわしにも未来が見えそうな気がしてきておる」
エビっ子が胸を張ってみせた。
「ところでエビっ子、オマエ、あとどれくらい人間に儲けさせたら、差し引きゼロになって福の神に近づけるんだ」
「そうじゃの、人間界の、今の日本の貨幣価値に換算すると、あと五七九億円といったところかの」
(地球の滅亡とどっちが先かって話だな)
ピカリンは思わずツッコミそうになったが、心の中に留めた。口に出したのは別こことだった。
「さ、借金完済すべく、明日も株式投資で儲けようぜ。未来の福の神さん」