ピカリンの株式投資的ツインテール

2、数字は嘘をつかない
「くそっ、ダメだ!」
 ピカリンが両拳で、キーボードを乱暴に叩いた。
「どうしたのじゃ?」
 後ろから、ヒョイと顔を覗かせるエビっ子。手には好物のメロンアイス。
「また損失でも出したかや。だから、株の選択は福の神たるわしに任せ、わっ!」
 ピカリンが机に顔を突っ伏したまま、左手を乱暴に払った。
 エピっ子は煙になることなく、アイスをかじりながらという余裕を見せながら、頭を下げてピカリンの手をやり過ごした。
「乱暴なヤツじゃな。まあ、損失を出せばカリカリするのは、古今東西、人間の変わらぬ性ではあるのじゃが。どれどれ、いくら損したのじゃ」
 ピカリンに構わず、ディスプレイを覗き込むエビっ子の眉がしかめられた。
「ん、なんじゃ、一万円の利益を出しておるではないか。なぜ荒れるのじゃ?」
 ピカリンは答えない
「ははーん、わかった。本当はプラス三万円までいったのに、欲をかいて利益確定をズルズル引き伸ばしているうちに、株価がナイアガラ瀑布のごとく下がったのじゃろう。それでああ本当はもっと儲けていたのに、と。どうじゃ、当たりじゃろ?」
 茶化すようなエビっ子の物言いに、ピカリンは再び感情が爆発しそうになった。しかし、口から出たのは、自分でも驚くほど静かな声だった。
「違うよ。一万円はほぼ天井で売った利益だ。これ以上は望めなかった」
「ではなぜ怒る?」
「昨日、おばさんが来たよな。話、聞いてたか?」
 エビっ子は首を横にふった。
「いんや、わしは酒をかっくらって、神棚の中でグーグー寝ておったでな」
「おばさん、近々結婚するんだそうだ」
「ほう、めでたいの」
 エビっ子は感心なさげに言った。
「うん、めでたい。俺としては、心底お祝いしたいと思う。でも」
「でも、なんじゃ?」
 ピカリンはしばし言い淀んだあと、続けた。
「相手が、な。おばさんと同じ年で四十歳らしいんだけど、借金があって、それを返済しないと、結婚できないと言ってるらしい」
「ふむ、なんだかきな臭い話になってきたの」
「そうだ。少しでも早く結婚するため、おばさんに協力を求めてきてるんだと」
「いくらじゃ?」
「おばさんははっきりとは言わなかったけど、一千万円くらいだと思う」
「結婚詐欺じゃな」
 エビっ子は断言した。
「行き遅れのオールドミスを引っ掛けようとしとるんじゃろう。ピカリンもわかっておるんじゃろ」
「ああ」
 ピカリンはうっそりと頷いた。
「じゃあ、目を覚ますように忠告することじゃな。それが親切というものじゃ」
 エビっ子の言うことには応えず、ピカリンは別の話をした。
「おばさん、昨日泣いてた。おばさんにそんなお金はないし、これまで結婚もしなかった。なぜだと思う?」
「なぜって、ふーむ、おぬしのせいだとでも?」
「そうだ。おばさんは二十代半ばで、姉である俺の母親から、赤ちゃんの俺を引き取った。働いてたおばさんは、仕事中、赤ん坊の俺を託児所に預けなきゃならない。その料金で、稼いだお金の何割かが飛ぶんだぜ。送って行って、迎えに行って、連れて帰ったら今度は目を離せない。俺はおばさんの、時間と金を吸い取って大きくなったんだ。今だってそうさ。おばさんは、俺がいい学校にいって、良い成績を取ることが、自分の生きがいだって。進学校に進んで、通学に片道二時間もかかるのは勉強にさわるからって、こうして学校近くのこのアパートを借りてくれてるんだ。喜んでやってることだって言ってくれるけど、けど」
 いつの間にか、ピカリンの目には涙がびっしりと溜まっていた。
「ま、おぬしにとっては幸運じゃったな。そこの運良く、福の神たるわしが住んでおったのじゃから」
「アパートに着いたら、ガランとした部屋に神棚だけが据えてあって、ちょっとビックリしたけどな」
 ピカリンは涙を拭いた。
「そうは言うてものう。気持ちはわからんでもないが、やはり本人の目を覚ましてやることが、本当の親切じゃと思うぞ」
「俺は、俺はそう思わない」
 ピカリンははっきりと言った。
「結婚詐欺で、男に金を全部騙し取られてもいいから、俺はおばさんに金を用意してやりたいんだ」
「ま、小賢しい諫言なんかより、そっちのほうがカッコいいと思うのが、若い人間の男の青さかの」
 エビっ子の皮肉を、ピカリンは無視した。
「夏休みが終われば、今みたいにデイトレはできなくなる。二十万円を百万円に増やすのと、百万円を一千万円に増やすのはわけが違う。時間もない。だから、あと一ヶ月、夏休み中になんとかしておばさんに、幸せになるためのお金を渡したいんだ。それには、一日一万円なんかの稼ぎじゃ全然追いつかねーんだ」
「なるほどの」
 エビっ子はツインテールを揺らし、手を打って頷いた。
「それで福の神たるわしに、大暴騰する銘柄を教えてほしいと」
「違う」
 ピカリンはキッパリ断った。
「俺は今日から、株式市場が始まる朝九時から、終わる午後三時まで、パソコンの前に張りついて、株に全力投球する。今までお遊びでエビっ子にも付き合ってきたが、もう終わりだ」
「たった百万円の資金で、バカ高い日経二二五銘柄なんぞ買っても、十倍は夢のまた夢じゃぞ」
「倒産してゼロになるよりマシだ。一日に売買を何度も繰り返せばなんとかなる」
「そうかのー」
 懐疑的なエビっ子。
「だから、今後一切、場中は俺に話しかけるな。オメーのインチキ銘柄の推薦なんかもってのほかだ。わかったな」
 ピカリンは、そう宣言したのだった。



 夏休みの終わりまで、一週間と迫った日の午後三時。
 ピカリンは、パソコンの前にぐったりと突っ伏していた。
「市場は終わったか。どれどれ」
 待ちかねたように、エビっ子がメロンアイスをかじりながら、ディスプレイを覗き込む。ここ三週間、ピカリンに言い渡されたとおり、エビっ子は場中は話しかけずに過ごしてきたのだ。
「ふむう、今日も、か」
 資産状況は、現金、持ち株合わせて百万円弱。
 ここ三週間の取引は、マイナスもなければプラスもない、骨折り損のくたびれ儲けという結果になっていた。
 いや、利益が出ていないことを非難するのは、ピカリンにとって酷なことだったかもしれない。
 資産を十倍に増やすべく、リスクの高いトレードにも積極的に手を出してきたのだ。
 慣れないことをすると、人間は必ず失敗する。損失を少しでも減らそうとして、ますます深みに嵌る。
 そんな危ない橋を何度も渡りつつも、プラスマイナスゼロという結果を出したのだ。授業料を払うことなく、貴重な経験値を得た。
 本来ならば、それで十分に喜ぶべきことだった。
「なんで、なんでだ……」
 顔を伏したまま、ピカリンは力なく呟いた。
「何度もチャンスはあった。二百五十万円まで増やした瞬間もあった。でも、次のトレードで失敗しちまう。なんでだ。連続で成功させないと、とても一千万円なんかに届くはずないのに……」
「ま、そう気を落とすな。福の神たるわしに任せてみてはどうじゃ。まだ一週間あることじゃし。ほれ、ひと口食うか?」
 食べかけのメロンアイスを差し出すエビっ子。
「うるさい、貧乏神!」
 ピカリンは声を荒げ、右手を後ろにふった。
「あっ!」
 小さく悲鳴をあげたのはエビっ子だった。
 いつものようにかわしたのだが、初めて指先が彼女のツインテールを叩いたのだ。
「あと一週間しかないんだっ!」
 ピカリンは怒鳴った。
「たった一週間で一千万! 無理だ。そんなの神様だってできはしない」
「わしは貧乏神じゃないと言うとろーがっ!」
 ピカリンに負けず、エビっ子が怒鳴り返した。
 顔は真っ赤になり、細い両肩が怒りに震えている。
「わしは福の神じゃ。じゃが、おぬしがそう貧乏神、貧乏神と言っては、本当に辛気臭い貧乏神になってしまうわ」
「うっせえ、貧乏神!」
 トレードがうまくいかなかった悔しさと、反論された怒りで、ピカリンは頭が真っ白になった。
「貧乏神! 貧乏神! そうだ!」
 ピカリンは、エビっ子を指差した。
「オメーみたいな貧乏神が、後ろにずっとくっついてるから、俺の投資はちっとも上手くいかねーんだ。そうだ、そうだよ。だって、ここに越してきて、オメーに会うまでは、俺は二十万円の元手を百万円にまで増やしたんだ。俺は株式投資が上手なんだ。でも、オメーに会ってから、貧乏神に憑りつかれてからはどーだ。儲けても、儲けても、オメーの失敗株がどんどん吸い取っちまう。そうだ。オマエさえいなきゃ、元手だってもっと増えてたんだ。もっと楽に一千万円を狙えてたんだ」
 ピカリンの言葉に、エビっ子は俯いたまま体を震わせていた。
 言いたい放題言って、頭の冷えてきたピカリンは、危険な兆候に気がついた。
 エビっ子が、拳を振り上げて殴りかかってくるかもしれない。
 ピカリンは両腕で顔をガードした。
 しかし、いつまで身構えても、エビっ子の拳は飛んでこなかった。代わりに飛んできたのは、食べかけのメロンアイスだった。顔の前でなんとかキャッチする。
「わしは貧乏神じゃないっ!」
 狭い六畳間に、エビっ子の絶叫が響く。
 目に溢れんばかりの涙を溜めてそう言い放つと、エビっ子は煙となってあっという間に神棚へと消えた。
「なんでえ、あいつ」
 ピカリンは舌打ちした。掴んだアイスを台所で流し、手を洗う。
「株がうまくいかなかった直後の人間は怒りっぽくなることくらい、アイツも知ってるだろうに。今日に限って涙なんか浮かべやがって。好物のメロンアイスまで投げつけて。殴りかかってくれてきたほうが、まだいくらかマシだ。これじゃまるで、俺が幼女をいじめてるみたいじゃねーか」



 その日の夜。
 ピカリンは、ここ数ヶ月の取引履歴をチェックしていた。
 昼間怒鳴りあってから、エビっ子は宮形に引きこもったまま出てこない。
 好き放題に言って、だいぶスッキリはしていたものの、ピカリンはエビっ子に悪いことをしたとは思っていなかった。
 たしかに気を悪くすることをわざと言ったが、多分に事実も含まれていた。
 取引履歴をチェックし、今度エビっ子がわからないことを言ってきたら、データを突きつけてやろうと思ったのだ。
 自分が買った銘柄と、エビっ子が買った銘柄を別々に計算しなおす。
(エピっ子の失敗さえなければ、俺はもっとずっと積み上げてたんだ。合計で百五十、いや、百三十万円くらいにはなっていたはず)
 一時間ほどで、表計算ソフトに数字を入力し終えた。
 合計数を出すべく、エンターキーを押す。
(あれ?」
 ピカリンは首を傾げた。自分の取引のみの合計収支が、八十万円になっている。
(二十万円の損? いやいや、あり得ない)
 首を横に振る。入力ミスだろう。
 数字をチェックし直す。しかし、ミスはない。
 ピカリンは慌ててエビっ子の取引収支の合計を確認した。
 プラス二十万円。
(な、なんで?)
 ピカリンは口を塞ぐように右手のひらを当て、ディスプレイを凝視した。
 エビっ子の取引は、ピカリンの取引に比べ、失敗の数が圧倒的に多い。、一回一回の損失額も大きい。
 とはいえ、ハイリスクな銘柄ばかり手を出しているため、結果が出た時のリターンもでかい。
 ピカリンは逆である。以前はそれで上手くいっていた。ピカリンの取引が損失を出していた原因は、精度だった。
 エビっ子に会う前は、ピカリンは一円、二円の損得にも神経質だった。二五〇円にならないと買わないと決めていた銘柄は、たとえ二五一円だとしても買わなかった。
 エビっ子が投資に口を出すようになり、精度が落ちた。エビっ子が一度の取引で五万、十万という損失を平気で出すため、一円や二円という細かさにこだわらなくなっていた。多少高くても、甘く買うようになっていたのだ。
 精度が落ちた理由の一因がエビっ子にあるようだとはいえ、数字は嘘を許さない。
 エビっ子の利益が、ピカリンの損失を補填していた。
 それは動かしようのない、厳然たる事実だった。
 ピカリンは、パソコンの前でいつまでも固まっていた。