ピカリンの株式投資的ツインテール
1、神様と株式投資
小さく白い拳が、机に叩きつけられた。
デスクトップパソコンが振動。木造アパートの六畳間に掛けられたプラスチック製の中国製掛け時計もかすかに揺れた。
青いリボンで結った金髪ツインテールを揺らして、少女が叫んだ。
「だから『TZRホールディングス』、これを買えと言っとろーが! 絶対上がるッ! 保証する! 神様のわしが保証するッ!」
白いブラウスに、紺色の吊りスカート。近所の小学校の制服に身を包んだ少女が口泡と飛ばす。
パソコン前に陣取った男も負けてはいない。
「よく見ろ! このエビっ子!」
都立高校の生徒であることを示す、臙脂色のネクタイをラフに締めた男は、右手でツインテール少女の頭を掴むと、ディスプレイの前に突き出した。
「『TZRホールディングス』とやらの、ここ数年の業績をよく読め!」
画面には、TZRホールディングスの業務内容、会社概要、決算書などが一覧になっている。
「短気決算の経常利益は赤字、赤字のまた赤字。売上げ高も減る一方。おかげで株価は、五年前の八百円から、今はとうとう三十円だ。だいたい不況の今どき、アメ車の輸入代理店なんか、売れてるわけねえだろ!」
エビっ子と呼ばれたツインテール少女は、乱暴に頭を振って、男の右手から抜け出した。
絹糸のように細い金髪が、子猫が弄んだ毛糸玉のように乱れる。
少女は構わず、吊り気味の大きな青い瞳を見開き、顔を真っ赤にして言い放った。
「この腰抜けサラリーマン!」
「テメエ、まだ将来に夢も希望もある高校一年生に対してっ!」
小学校の制服に身を包んだ金髪少女と、高校生の視線が激突する。互いに肩をいからせ、牙をむき出しにせんばかり。
ツインテール少女が、右拳をサッと引き上げた。
男は、ビクッと体を震わせ、反射的に両腕で顔をガードした。
少女のパンチが飛んでくる、と身を固くする。だが、いつまで経っても衝撃は襲ってこない。油断はできない。以前、フェイントで脇腹に拳をねじ込まれたことがある。
ボディ攻撃に耐えられるよう、腹筋に力を込めなおした時、フワリと肩に置かれたものがあった。
少女の小さな手が、乗せられていた。
恐る恐る視線を上げる。目の前に、これこそ天使といって何ひとつ差し支えのない、少女の満面の笑みがあった。
「なあ、ピカリン、大丈夫じゃ、心配するな。この株は必ず上がる」
「こ、根拠は? それとピカリンはやめろ」
男の名は光琳(こうりん)。親が昔の芸術家にあやかってつけたらしい。学校ではみなにピカリンと呼ばれていた。
親しげにピカリンと呼ばれるのは嫌いではない。ふざけたように呼ばれると腹が立つ。
「根拠はこれじゃ」
少女は、男の前に新聞を広げて見せた。
日本経済新聞などの全国紙ではない、黄色みがかったタブロイド夕刊紙『夜の王様スポーツ新聞』。通称、ヨルオースポーツ。
体裁としてスポーツ紙を装ってはいるが、野球やサッカーなどの、まともな結果や批評コラムは皆無。やれ某球団のA選手は飲み屋で姉ちゃんを口説いただの、不倫しているなど、下半身ネタオンリー。
政治欄もあるにはあるが、美人議員を追い回し、パンチラ写真でも撮ろうものなら、それがその日の一面トップ。
ヨルオースポーツを電車の中で広げることができたら、一人前のオヤジと認定されると言われている。
少女が指差す経済欄に至っては……。
** 現役AV女優・松島アンジー、夜の株式秘密テクニック **
イャン、私きのう仕事でアメリカ人のアレに乗っちゃった。アメリカ人のアレは、高校時代の留学生ジェフのを試して以来、久しぶり。やっぱりアメリカ人のアレは、サイズといい、動きのダイナミックさといい、コンパクトな日本人のアレとは違うわあ。仕事を忘れて堪能しちゃった。え? アレってのは、もちろん車のことよ。アメリカ製の車に乗ったってこと。エッチなことを考えた人、手を挙げなさーい。というわけで、今日、アンジーがオススメするのは、アメリカの車輸入を主な仕事にしている『TZRホールディングス』よ。アメ車に乗って撮影した仕事は、今度の作品で。見てね。
「経済と全然カンケーねぇじゃねえかっ! この貧乏神っ!」
ピカリンは、怒りに任せてヨルオースポーツを丸めて、横に払った。
エビっ子の側頭部を狙ったのだが、当たる寸前、少女は白い煙と化した。
ヨルオースポーツは空を切った。
「あ、待て、この野郎!」
ピカリンは手当たり次第に新聞を振り回す。
だが、むなしく煙を切り裂くだけだった。
白い煙はあざ笑うようにピカリンのまわりを回転すると、六畳間の北西、天井付近の壁に据えつけられた、小さな白木の神棚へと吸い込まれていった。
「貧乏神と言うなっ! わしは福の神じゃっ!」
ホコリを被り、色褪せた宮形の中から、エビっ子の怒った声が響いた。
神棚の下に椅子を運び、その上に乗ってピカリンは毒づいた。
「ふん、貧乏神って呼ばれるのが嫌なら、たまには儲けさせてみろってんだ」
「勝ってる時もあるじゃろうが」
「バカタレ、宝くじみてーな確率でたまに当たったからって、焼け石に水だ。オメーの推薦株の死屍累々の有り様、プリントアウトして叩きつけてやろーか」
「……貧乏神と呼ぶな。わしは福の神じゃ……」
エビっ子の声は弱々しくなった。
「ふん」
まだ言いたいことはあったが、ピカリンは椅子を降りて、パソコンの前に戻った。
利用しているネット証券のサイトを開き、ディスプレイの前で腕組みする。
午後二時。株式市場はあと一時間で終わる。
ピカリンにもう買う材料はなかった。あとは手持ちの株が暴落しないのを祈りつつ、市場が終わるのを待つだけだ。
資産状況にチラリと目を走らせる。
ピカリンは高校一年生ながら、百万円の資金を、ネット株で運用していた。
小さな頃からお年玉などで貯めた二十万円を、二年で百万円まで増やしたのだ。
株式は現在七十万円ほど買っている。あと三十万円余力がある。
(ふん、買ってみるか)
キーボードに指を走らせ、TZRホールディングスの株を千株、三万円分購入した。
上がるとは思わなかった。しかし、三万円なら仮にゼロになっても損失はそれだけで済む。
もし上がれば、エビっ子の誇らしげに喜ぶ顔が見れる。
「バカだね、俺も」
ピカリンは苦笑して顔を横にふった。
翌日、前々から法的整理が噂されていたアメリカの大手自動車会社が、とうとう白旗をあげた。
倒産した米自動車会社の輸入代理店だったTZRホールディングスは、監理ポスト入りが発表された。
TZRホールディングスの株価は、三十円から一円となった。
二〇××年八月。
ピーカンの晴天続きで、世の中ではダムの水不足が囁かれつつある夏の日、ピカリンは貧乏神に取り憑かれていた。
朝八時、目星をつけていた会社の株価チャートをチェックし、株主資本利益率を確認する。
現在の株価は、企業の価値と比較して、割安なのか、割高なのか。
割安ならば、何が原因で安くなっているのか。
割高でも、今後さらに伸びる余地はあるのか。
株に関する数十冊の本を読破して身につけた分析法で、企業を診断。今日購入する株を決定する。
「まったく、ネチネチした計算をよくやるのう。そんなんじゃ女のモテんぞ」
パソコンに向かって入力を続けるピカリンに背中にむかって、気の抜けた声を投げかけたのは自称“エビス様”のエビっ子だった。
近所の小学校の制服姿のまま、スチールベッドの上にだらしなく横になり、一升瓶を両手で支えラッパ飲みで呷っている。つまみはメロンアイス。エビっ子の大好物なのだ。
酒を飲まないピカリンには分からないが、そんな組み合わせがうまいとは聞いたことがない。
アパートの狭い六畳間には、アルコールの匂いが充満している。本物の日本酒なのだ。
エビっ子を無視していると、今度は違う質問が飛んできた。
「なんぞ、良い株は見つかったか?」
「ああ、五島化学を買う。燃料電池の素材を開発してて、環境銘柄として将来有望なんだ。株価も今はまだ低いラインになってるしな」
「ハ、またおぬし得意の日経二二五銘柄か。つまらん」
「日経二二五をバカにするな。日本経済新聞が指名した、各事業分野を代表する企業の銘柄なんだ。リターンは低いがリスクも低い。オメエお気に入りのAV女優推薦株なんかと違う。俺のような長期的視点を持った株主にはピッタリの銘柄さ」
「なーにが長期的視点じゃ。この退屈サラリーマンが」
エビっ子は呷っていた一升瓶を畳の上に置くと、ピカリンの背後に回った。
「ん、ピカリン、おぬし、昨日わしが推薦したTZRを買い増ししておるのか」
肩にアゴをのせながらディスプレイを覗き込み、酒臭い息をふきかけながら、エビっ子は言った。
「そうだよ」
不機嫌に返事する。
「感心、感心。昨日は運悪く下げたが、福の神たるわしへの信心を続けようというわけじゃな。きっとご利益があるぞ」
「バカタレ」
ピカリンはエビっ子を軽く小突こうとしたが、ヒラリとかわされた。
「貧乏神なんか信じるわけねーだろ。ナンピン買いして損失をカバーしようとしてるだけだよ」
「貧乏神じゃない」
エビっ子は反論したあと、不思議そうな顔をした。
「ところで、ナンピン買いとはなんじゃ?」
「自称“福の神”様のご神託のおかげで、TZRは三十円から一円に下げただろーが。一円になった株が、また三十円まで戻ると思うか?」
「ま、無理じゃろうの」
エビっ子は涼しい顔でこたえた。
また頭を小突いてやりたい衝動に駆られたが、どうせかわされる。グッとこらえる。
「一円になった株を、今度は買い増しするんだ。すると、取得平均単価はどうなると思う?」
「下がるの」
「そう、損益分岐点のハードルがグッと下がる。昨日は三十円で千株買ったけど、いま一円の株を三万株、三万円分買った」
購入決定ボタンをクリックする。次の瞬間、取引が成立し、ピカリンの持ち株に、TZRホールディングスの株が三万株追加された。
「で、見てみろ。取得平均単価は三十円から、二円弱に下がっただろ」
「ほほう、下がるもんじゃのー」
「世の中には好き者も多い。倒産寸前の一円銘柄が、なにかの拍子に二円、三円くらいに跳ね返ることはあるんだ。二円になった時に売れば、損はしない計算だろ」
「なるほどのー。でも、会社が倒産したら、ゼロになるんじゃろ。三万円で済む被害が、倍の六万円というわけじゃ」
したり顔でのべるエビっ子。
「んなこたー、わかってんだよ! 倒産しないように祈るのが、オメエの仕事だ」
「ま、わしは福の神じゃ。大船に乗ったつもりで、ドンと任せるがよい」
「なーにが大船だ」
ピカリンは溜め息をついた。
「そうだ。今日は夕方、おばさんが来るんだ。エビっ子、飲みかけの一升瓶は見つからないようキッチンの下にでも押し込んどけよ。ヨルオースポーツもな」
「おばさん? ああ、おぬしの保護者というおばさんか」
「そうだ。俺は親無しだからな。おばさんに育てられたんだ。おばさんが来たらエビっ子。今日はもう神棚から出てくんなよ。小学校の制服来たオメエなんか出てきたら、おばさんは卒倒して、俺はロリ誘拐容疑で逮捕されちまう」