三百円の援助交際

2、崩壊
 桜子はなぜボクを誘い、三百円をくれるのか?
 心当たりはない、わけではない。
 ボクが高校に入学して間もない半年ちょっと前、ボクの父は、勤めていた会社をリストラされた。
 しばらくは失業保険で食いつないでいたが、やがて受給期間は終わった。
 新しい服や家電製品はおろか、公共料金すら払えなくなる。
 電気や水道料金の督促状が届き、停止期限ギリギリになってようやくひと月分を収めにいく有様だった。
 高校の授業料が、ここ数ヶ月滞納されていることも知っている。
 仕事一筋で生きてきた父は、まるで腑抜けになった。
 リストラ以来、自縛霊のようにずっと家にいる。
 母はいつもイライラするようになった。
 父やボクのちょっとしたひと言で、ヒステリックに雷を落とすかと思えば、むっつりとふさぎ込んでシクシクと泣き出す。
 とても“小遣いをくれ”と言える状況ではなかった。
 級長として職員室に出入りする機会の多い桜子は、このことを耳に挟んだのかもしれない。
 一度だけ、なぜ『帰宅途中デートしてくれたら三百円あげる』とボクを誘ったのか、桜子に聞いたことがある。
『デートっぽいことをしてみたかったから』
 彼女の答えだった。
『楽しい?』
 続けて聞いてみた。
『意外とつまんないね』
 おしゃべりはしているものの、たしかにつまらなそうだった。
 ホストクラブの人間ではないのだから、ボクだって女の子がどうすれば楽しんでくれるのかなんてわからない。
 結局、なぜ彼女がボクを誘ったのか、本当のところは謎のままだ。
 腹が立たなかった、と言えば嘘になる。彼女にすれば、いつもひもじいサル山のサルに、小銭でバナナを投げ与えているようなものなのかもしれない。
 バカにするな、と思う。
 思うが、口には出せない。
 いずれにせよ、日々の飲み物代や文房具代すら事欠くボクにとって、デートのたびに桜子がくれる三百円は、とても貴重だったのだ。


 桜子と週二回ほどの援助交際をはじめて三ヶ月後、ボクは進路指導室へ呼ばれた。
「失礼します」
 会議用の長机と、スチールパイプ折り畳み椅子が六脚並べてあるだけの、殺風景な室内。
 銀行の営業マンよろしく髪をきっちり七三に分けた三十歳の担任教師が腰掛けていた。やや前かがみになって机に両膝をつき、指を組み合わせた手の上に顎を軽く乗せている。
 ボクの入室に、担任はビクリと頬を震わせた。
「あ、に、西村君、よく来たね。まあ、腰を、かけなさい」
 正面の椅子を勧めながら、担任は困ったように薄笑いを浮かべ、視線を窓の外へ送った。
 ボクと目を合わそうとしない。
 怒っているのだろうか?
 石田桜子との交際が何か問題になっているのか。彼女との交際は、ボクら二人以外だれも知らないはずだが。
 ボクの心配をよそに、担任はおずおずと一枚の紙を目の前に置いた。
「ほ、ほら、君のね、家のね、状況、がね……」
 いかにもエリート然とした立て板に水の授業と違い、今の担任は目を泳がせ、どもりながらおずおずと説明する。
 ボクの実家はそういう状態なので、ここ数ヶ月授業料を払っていなかったし、払えるメドもない。だから学校を辞めて欲しい、とのことだった。
 さすがは私立の高校である。損得勘定には厳しい。
「き、君のね、西村君のお母さんとも話をしたかったんだけどね。ど、どうもね、話がね、上手く噛み合わなくて……」
 否も応もない。高校一年生のボクに、一体どういう交渉が可能だというのだろう。
 退学届けを書かず、強制的に退学されられるまで居残ることができたかもしれない。
 しかし、そんな針のむしろで平然と勉強できるほどの根性はない。そんなタフな生き方をしてきたわけでもない。
 ボクは担任の差し出す例文どおりに退学届けを書いた。
 “自主的に”退学したわけだ。
 エリート坊ちゃんの雰囲気が抜けない担任にとって、他人に引導を渡すのは慣れない仕事だったに違いない。
 額に浮かぶ汗を神経質そうにハンカチで拭う担任は、最後までボクと目を合わそうとしなかった。
 退学届けに署名を終え、坊ちゃんがホッとひと安心という雰囲気を全身に発散させた時、進路指導室に闖入する者があった。
 でっぷり太った中年の女先生・世界史の石黒が、ドカドカと踏み込んだ来たのだ。
「いい、西村君。自分をしっかり持つのよ」
 目に涙を浮かべながら、石黒がボクを抱きしめた。ぶよぶよとした水入りゴム風船のような感覚と、腐りかけた薔薇のような甘く、顔をしかめたくなるような不快な香料の匂いが鼻をつく。
「あなたみたいに若いうちに社会に出ることは、将来必ず役に立つと思うの。ツライことだけど、人生はツライことの連続なの。先生もそうなのよ。だからくじけちゃダメ。ずっと応援してるわ」
 石黒はボクの両肩に手を置いて、目を真っ赤にして熱弁をふるった。
 どうやら石黒は良いこと、ためになることを言っているようだ。まったく心には響かなかったけれど。
 それに、ボクはこれから涙なくしては語れないほど、ツライ目に遭うらしい。
 応援してくれるというのなら、卒業まで月二万円ほどを授業料を代わりに払ってくれても良さそうだが、それはしてくれないようだ。


 特に何をするでもなく二カ月ほど家でゴロゴロした後、ボクは就職した。
 就職と呼ぶのは憚られるような親方ひとり、弟子ボクひとりの、小さな小さな町の上下水道設備屋である。
 高校中退の学歴じゃあ、できる仕事は限られている。
「おめえ、仕事を甘くみるなよ」
 四十代半ばの親方は、初日から挨拶がわりにそう怒鳴った。
「早くモンキースパナ持ってこい!」
「走れ、ボサボサすんなッ!」
「こんなとこもできねえのか。まったく、最近の若いヤツラときたら」
 初日だけで、ボクがこれまで生きてきた十六年間よりも、たくさん怒鳴られた。
 中学、高校と特定の運動部には入っていなかったが、体力にはそこそこ自信があった。
 小さな頃、喘息持ちだったボクは、医者の勧めで週二回、町のスイミングスクールへ通っていた。
 喘息が治っても、父がリストラされレッスン料が払えなくなるまで通っていた。
 だから普通の高校生よりは少しだけ体力はある、と思っていた。
 甘かった。
 そんな“上品な”スクールで身につけた体力など、現場仕事では何の役にも立ちはしなかった。
 水道設備の現場仕事は、三十キロ近くある発電機を担いだり、スコップで穴を掘ったりと、力は使う。かなりキツイ。
 とはいえ、瞬間的な体力消耗で言えば、スイミングスクールのほうがずっと上だろう。
 問題は、立ち続けねばならないことだ。
 単に立っているのが、ツライのだ。
 考えてみれば小学校入学以来、ボクは人生の大半を椅子に座って過ごしている。
 一日のうち、最低六時間は学校の椅子に座って過ごし、中学になればプラス塾の座り時間が増えた。
 もちろん、自宅で勉強している時も椅子の上だ。
 テレビゲームで息抜きをしている時でさえ座っているのだから、週二日、一回一時間のスイミングスクールなど、ボクの体にとってはジャンクフードだらけの食生活の中へ、たまに気まぐれで放り込まれるビタミン錠剤程度の気休めでしかなかったのだ。


 慣れれば首を絞められるのだって平気になる、という。
 月給は十四万七千四百円。
 そこから社会保険や年金を引かれて、手取りは十万三千百円。
 休みは日曜日のみ。
 毎日朝七時から、長いときは深夜零時を越えるまで、馬車馬のように働く。
 残業代などもちろん出ない。
 配管の仕事に定時はない。
 下水や水道水の補修は、配管をきちんと通すまでけっして終われないのだ。
 コンビニのバイトのほうが割りが良いように感じられることも度々あった。しかし、時給六百円程度では、収入にたいした違いはあるまい。
“人生はつらいことだらけ”
 世界史の石黒が言ったことは本当だった。
 親方からすれば、ボクを雇っているという気はない。
 使ってやっているのだ。
 辞めたいのならいつでもどうぞ。
 まあ、そんな感じだ。


 父はリストラで職を失った。退職金と貯金のすべてで、家の残りのローンは払った。だから住む場所の心配はない。
 しかし、父は変わった。
 以前から、あまり話さない父ではあった。朝、しかめつらしく新聞を読みながら、朝食をとる父。
 時折り、新聞の社会記事をボクに説明してくれる。
 父の言っていることは、ほとんど理解できなかったものの、親子唯一のコミュニケーションだった。
 バカなことや、冗談は言わない父。
 それが普通だと思っていた。
 父は、終日家にいるようになると、一日中テレビを見ているようになった。
 昼は主婦向けのワイドショー。
 夜はテレビ芸人たちが賑やかに笑いさざめくバラエティを見ている。
「お帰り、ケン。仕事はどうだった。いま晩御飯を温めなおすからな」
 父は、気色悪いくらいボクに気をつかうようになった。
 なにしろいま家の食費、水道光熱費は、すべてボクの雀の涙ほどの給料でまかなっているのだ。
 いそいそと電子レンジのボタンを押す父を、うしろから蹴っ飛ばしてやりたい衝動に駆られる。
 失業保険の給付中も、切れた今も、父は再就職の活動はまったくしていない。
「父さんはどうするの?」
 一度だけ、聞いたことがある。
 失業保険が切れたあとは、どうするのか?
 父は、薄ら笑いを浮かべながら、上目がちにボクを見ただけだった。
 父の表情は、むかし中国にいたという去勢された『宦官』をイメージさせた。
 あの薄気味悪い笑顔を見るのが嫌で、ボクはもう二度と同じ質問はしなかった。
 間もなく、母は離婚届に自分の判を押して、家を出て行った。
 父は判を押すのか、押さないのか、決断から逃げていた。
 実家に戻った母から、よくボク宛てに電話がかかってきた。
 以前から自分がいかに父を嫌っていたか、昔からどれほどダメだったのか、だから当然いまのこうなのだ、等々。
 母の父批判は毎度同じことの繰り返しで、とどまるところを知らなかった。
 母は、父がどれほどダメな男なのかボクに力説して、いったい何がしたいのだろう?
 母からの電話の途中で、ボクは「これから仕事があるから」とウソをつくようにった。
 やがて料金の滞納で、電話は使えなくなった。
 ボクは、ホッとした。