三百円の援助交際

1、援助交際
 ボクは援助交際をしている。
 買うのではなく、売るほうだ。
 自分の体、そして時間を金にしている、というわけだ。
 デート料は、一回三百円。
 世間一般の相場? からすれば格安だと思う。
 安いのには理由がある。
 ボクが可愛い女子高生じゃないから、ではない。
 ボクは可愛いどころか、女子ですらない。冴えない男子高校生である。
 安い理由はもっと単純だ。
 ボクを買いたいという人間は一人しかいないし、その人は一回のデートで三百円しか出してくれない。
 需要と供給のバランスというわけだ。
 ボクを買っているのは、同じ高校のクラスメイト。名前は石田桜子という。
 サクラコ、呼びにくい名前だ。まったく珍しいというわけではないようだけど。
 やや痩せぎすの桜子は、体のラインにメリハリがなく、色気というものがない。
 細面の色白で、目は細い。喜怒哀楽はあまり表に出さない。彼女が教室でケラケラと笑っているところは見たことがない。
 セミロングの黒髪を、味も素っ気もない黒いゴムで後ろにまとめている。
 お洒落に言えばポニーテールなのかもしれないが、ボクに言わせれば単なるおばさん風のひっつめだ。
 買われている立場上、そんなこと面と向かっては口が裂けても言えないわけだけど。
 桜子は、勉強はできる。高校入学時、クラスの級長は、男女それぞれ入試成績の一番良かった者が指名された。桜子は女級長に指名された。
 クラスメイトの性格が分かってきた二学期以降は、生徒同士の投票で級長を決めた。
 桜子は二学期、そして三学期もすでに級長に選ばれている。
 あまり表情の無い彼女だが、人望はあるのかもしれない。
 あるのかも、などと曖昧な表現を使うのは、それだけボクが彼女のことを何も知らないということだ。
 挨拶以外、言葉を交わしたこともなかったのだから。


 一年二学期の期末試験を一週間後に控えた、寒い冬の夕方。
 くすんだコンクリートのようにどんよりした灰色の空の下、冷たい北風に首をすくめながら、ボクと桜子は肩を並べて校門を出た。
 制服の上にカーキ色のコートを羽織っているだけのボク。桜子は紺色のダッフルコート、首にはピンク色の毛糸マフラーをグルグルに巻きつけている。
 顔は半ばまでマフラーに埋まり、そのうえ、口と鼻をすっぽり覆う大きな布製の白いマスクをつけている。
 喉から肺にかけての気道が弱い彼女には、冬の冷たく乾いた空気がツライらしい。
 手をつなぐでも、肩を抱くでもない。
 ボクらはつかず離れず、ブラブラと駅に向かって歩く。
 向かう先は、駅前商店街の中、雑居ビル一階に入っている喫茶店『エルム』。
 疑似レンガ風の外観。百席ほどもある店内は、トレー片手に歩いても人とぶつかる心配は無いほどゆったりとしている。照明はやや暗めだ。
 店内はスーツを着たサラリーマンと、井戸端会議に忙しい主婦たちが半々くらい。ボクらのような高校生の姿は見えない。
 学生は、商店街入り口ビルの三フロアを使って営業しているファストフード店へ行くからだ。
 お客の年齢層が高い『エルム』とはいえ、値段は高くない。
 ホットコーヒー、一杯百八十円。
 ホントのことを言えば、ボクはコーヒーは好きではない。飲みたいとも思わない。コーラのほうが好きだ。しかし、スポンサーの桜子が、いつも勝手にコーヒーを注文してしまうので仕方ない。
 いつもの奥の壁際の席へ向かい合って腰を降ろす。
 桜子がマフラーとマスクを取る。ドラム缶の中から人間が現れた、といった風情だ。
 所帯やつれ漂う年配のウエイトレスがコーヒーを二つ、無気力そうに運んできた。
 ボクはスティックシュガーをふたつ入れる。
 桜子はブラックのまま少しだけ口に含んだ。
 一息ついた後、彼女が口を開く。
「上田先生のネクタイ、あれなに? ひどいセンスだったね」
「うん、たしかに」
 ボクは相槌を打つ。たしかに、国語教師上田のネクタイは、ギラギラの玉虫色で酷いものだった。
「上田先生、結婚してるんだよね。奥さんが選んでるのかなあ」
 奥さんが選らんだものだろうが、そうでなかろうが、納得して首に巻いたのは上田本人だろう。
 それに、そんな話が一体どうしたというのだ? 上田のネクタイが玉虫色だろうが竜の刺繍だろうが、そんなのどうでもいいことではないか。と、腹の中で思う。
「秀島先生のジョーク、今日はあんまり面白くなかったね。キーホルダーで「木ぃ掘るだ」なんて」
 桜子は「フフ」と笑った。まあ、笑ったと言っても目は笑ってないし、本気で笑ったのかどうかはかなり疑わしい。
 時々ハゲ頭のカツラなど被って教室に現れる英語教師の秀島の笑いは、駄洒落を笑うのでなく、そうした行動をとる秀島本人の笑いに対する姿勢を評価して笑うべきだろう。クラスの皆も、ジョークがおかしいのではなく、秀島のキャラを笑っているのだ。
 桜子は、いったいその辺どう感じているのやら。
 午後の授業中、クラスメイトの女子がひとり、突然シクシクと泣き出した。
「理由は、彼氏からお別れのメールが来たかららしいよ」
 桜子は、心持ち自慢気にボクへ情報通ぶってみせた。
 クラスの誰かがフラれたからと、それが一体どうしたというのだ?
 ボクには何の関係もないし、興味もない。
 実際の話、目の前でちょっぴり顔をしかめながらブラックをすすっている桜子本人ですら、そんな話に本当に興味あるようには見えない。
 時間つぶし、空白つぶしのため、無理に話題を作っているように思える。
 学校の出来事しか、ボクらは話さない。
 それ以外、ボクと彼女に共通する話題はないから。


 三十分ほどお喋りをして、エルムを出る。
 混雑する商店街を避け、一本外れた通りを使って駅へ向かう。
 裏通りの一角に、クリーム色の地味な外壁ながら、八階建ての高さと派手なネオンで周囲を圧するラブホテル『イブ』がある。
 初めてのデートの時、ボクは心臓が口から飛び出しそうなほどドキドキしたものだ。
 ホテルに入るのだろうか、と頬が紅くなった。
 しかし、桜子は無表情にそこを通り過ぎた。
 もちろん今日も。
 ホテルを過ぎて間もなく、桜子が足を止めた。
 イタリアの国旗がかけられたレストランの前だった。
 つい先日まではまだ外周に足場が組まれ、工事中だった店だ。
 入り口のガラス戸には『営業中』の札が掛けられ、窓越しに数人の客の姿が見える。どうやらオープンしたらしい。


『イタリアン・レストラン パショー』


 入り口には、切り落とした枝をそのまま組み上げたようなアンティークな椅子が置かれ、その上にメニューが広げられていた。
 桜子が、メニューにじっと見入る。
「ランチは二千五百円かあ」
 再びマフラーとマスクに埋まった桜子が、ポツリと呟く。
「夜だともっと高そうねえ。うーん、二千五百円……」
 彼女は興味津々だ。
 ぶっちゃけ、ボクはイタリアンに関心はない。
 美味いものは嫌いではないが、それより値段とボリュームのバランスを考えてしまう。
「ねえ、西村くん」
 マスクのせいで、声がこもって聞き取りづらい。
「将来はさ、こういうところで、お金を気にしないで食事できるようになりたいよね。西村くんは大学を出たら、仕事は何をするつもり?」
 脈絡のない質問だったが、さほど戸惑うことはなかった。自分なりの考えはあった。
「俺、パソコンとか好きだから、まだ漠然とだけど将来はIT関係の仕事に就きたいと思ってる」
「ふーん」
 桜子はこちらを見ないで、首だけを軽く上下に動かした。あまり感心したふうではない。
「IT関係って、プログラマーとか? あまり稼げるイメージはないけど」
 どうしても金、収入が気になるらしい。
 とはいえ、ボクだって朝七時から夜十二まで奴隷のごとく過労死寸前まで働いて、給料は雀の涙、なんて仕事に就きたいわけではない。
「グーグルとかさ、世界的に名の通った企業に勤めたいね。待遇もいいって聞くし」
「なるほどねー」
 桜子はコクリと頷いた。少し納得したらしい。
 再び歩き出すボクら。
 駅の改札で、石田はポチ袋を取り出し、それをボクに渡してくれる。
 白とピンクの市松模様の袋の中身は三百円だ。
 三百円程度、手渡しでもよさそうだが、こんな可愛い袋をいちいち用意するところ、彼女も女の子ということか。
「ありがとう」
 ボクは頭は下げず、お礼の言葉だけでそれを受け取る。
「さよなら」
 桜子は、定期を自動改札に通すと、階段をあがってプラットホームへ消えた。
 ボクは踵を返して駅の外へ出る。
 桜子は電車通学だが、ボクはここから歩いて二〇分ほどのマンション住まいだ。
 これがここ数ヶ月続く、ボクの援助交際。